コーヒーバーベット
2003年2月3日「―――わかりますか。可能性をこうして削ぎ落として、論理の向こう側に現れる人物はあなたしかいないんですよ、藤原さん」
藤原はここまで理路整然と追い詰められてもその表情をピクリとさせることはなかった。濁ってはいるが、明らかに深いその目に動揺はない。尋問しているのはこちらなのに、探偵、栗田伍郎は何か誤りを仕出かしているのではないかと、気が気でなかった。
赤いカーペットがその広さを象徴している会長室のテーブルには、藤原の秘書が用意したコーヒーが3杯置かれている。素人目で見ても高級な面立ちのコーヒーカップだ。部屋にいる藤原と伍郎と直美に用意されたものだが、その張り詰めた緊張からか誰も手を付けていない。
しかし、延々と喋ってきて伍郎の喉は枯渇して潤いを求めていた。螺旋状の刻みのある、カップの取っ手を右手で握る。鼻腔を香ばしい風味が抜けていく。コーヒーを口に含もうとしたとき、
「賭けをしないか」
不躾なほど押し黙っていた藤原がついに喋りだした。伍郎は慌てて口からカップを放した。今まで一言も喋らなかった藤原が喋りだしたのだ。コーヒーを飲んでいる場合ではない。
「賭け、ですか?」
藤原は、テーブルに残された2つのカップの1つを手に取った。
「実はな、このコーヒーの内つに、致死性の毒が溶かしてある」
「毒だって!」
「う、嘘・・・」
伍郎の隣に座っている直美が、微かな声で云った。
「嘘ではない」
向かいに座っている藤原は、カップを持ったままソファを立ち、観賞用の熱帯魚が泳いでいる水槽まで向かった。
「その証拠を見せよう」
藤原は、カップの中身を水槽に流し込んだ。透明なグリーンを黒い筋が、毛細血管のように侵されていく。一瞬、中の熱帯魚が困惑した表情をしたように見えた。そして、口をパクパクさせ出した。水槽が黒に染まる。全ての熱帯魚は、体を半回転させ水面に向かって浮かんでいく。瞼を持たない目に、生気は感じられなかった。
「魚が死んだ・・・本当にこの中に毒が・・・」
直美の顔は青ざめていた。
「残り2つのコーヒーカップのどちらかを飲めば、あの魚のようになる。ベットは互いの命。魚と同じ運命を辿った方の負けだ」
「こんな馬鹿らしい賭けに乗れるものか」
伍郎は、恐怖を感じていた。
「パスは許されない」
藤原は淡々とした言葉で言う。
「ご、伍郎・・・あれ・・・」
直美の指差す先には、掌に収まる程の小型の拳銃が握られていた。銃口は直美に向けられている。
「君が断れば、ガールフレンドと心中してもらおう。大丈夫、君が死んだら彼女は丁重にお送りするよ。私が死んだら、この部屋から早々に立つと良い。骸は秘書の夏目君が片付けてくれる」
「しかし、お前はどちらに毒が入っているのか知っているんだろう?」
魚を殺すには、どれに毒が入っているかわかっていないとできない。
「だから、先に君に選ばせてやろう。残りを私が飲む」
「片方が無毒だという保障はない」
「私は、嘘を付くことはあるが、約束を破ったことは無い。それは、君のお父さんがよく知っているはずだ。当然君もな」
伍郎の手は震えていた。先程から握られているカップは、カチャカチャと音を立てる。
「君が最初に選んだカップをそのまま飲み干すのも良い。テーブルに残された、最後の希望と交換するのも良い」
最後の希望・・・しかし、それと取り替えたからといっても救いの運命が待っているとは限らない。
「伍郎、やめて!」
「君は黙っていろ!」
伍郎は、叫んだ。直美まで道連れするわけにはいかない。
(どちらかに毒が入っている・・・生きるか死ぬか、二分の一のゲーム)
藤原は、ラスベガスの一世一代の賭けに勝ち、大財閥を築いたと聞く。おそらく、彼は賭けの対象に自分の命を差し出すことに躊躇わないのだろう。伍郎の父も、彼との賭けに負けたらしい。
藤原は危険な男だ。いくら奴が約束に関して誠実であったとしても、自分が死んで人質の直美が無事であるという保障は無い。
伍郎は、この二分の一の賭けに勝つ方法・・・せめて有利に立つ方法を短い時間の間で必死に考えていた。
--------------------------------------------
有利に立つ方法を考えてください(^ー^)
藤原はここまで理路整然と追い詰められてもその表情をピクリとさせることはなかった。濁ってはいるが、明らかに深いその目に動揺はない。尋問しているのはこちらなのに、探偵、栗田伍郎は何か誤りを仕出かしているのではないかと、気が気でなかった。
赤いカーペットがその広さを象徴している会長室のテーブルには、藤原の秘書が用意したコーヒーが3杯置かれている。素人目で見ても高級な面立ちのコーヒーカップだ。部屋にいる藤原と伍郎と直美に用意されたものだが、その張り詰めた緊張からか誰も手を付けていない。
しかし、延々と喋ってきて伍郎の喉は枯渇して潤いを求めていた。螺旋状の刻みのある、カップの取っ手を右手で握る。鼻腔を香ばしい風味が抜けていく。コーヒーを口に含もうとしたとき、
「賭けをしないか」
不躾なほど押し黙っていた藤原がついに喋りだした。伍郎は慌てて口からカップを放した。今まで一言も喋らなかった藤原が喋りだしたのだ。コーヒーを飲んでいる場合ではない。
「賭け、ですか?」
藤原は、テーブルに残された2つのカップの1つを手に取った。
「実はな、このコーヒーの内つに、致死性の毒が溶かしてある」
「毒だって!」
「う、嘘・・・」
伍郎の隣に座っている直美が、微かな声で云った。
「嘘ではない」
向かいに座っている藤原は、カップを持ったままソファを立ち、観賞用の熱帯魚が泳いでいる水槽まで向かった。
「その証拠を見せよう」
藤原は、カップの中身を水槽に流し込んだ。透明なグリーンを黒い筋が、毛細血管のように侵されていく。一瞬、中の熱帯魚が困惑した表情をしたように見えた。そして、口をパクパクさせ出した。水槽が黒に染まる。全ての熱帯魚は、体を半回転させ水面に向かって浮かんでいく。瞼を持たない目に、生気は感じられなかった。
「魚が死んだ・・・本当にこの中に毒が・・・」
直美の顔は青ざめていた。
「残り2つのコーヒーカップのどちらかを飲めば、あの魚のようになる。ベットは互いの命。魚と同じ運命を辿った方の負けだ」
「こんな馬鹿らしい賭けに乗れるものか」
伍郎は、恐怖を感じていた。
「パスは許されない」
藤原は淡々とした言葉で言う。
「ご、伍郎・・・あれ・・・」
直美の指差す先には、掌に収まる程の小型の拳銃が握られていた。銃口は直美に向けられている。
「君が断れば、ガールフレンドと心中してもらおう。大丈夫、君が死んだら彼女は丁重にお送りするよ。私が死んだら、この部屋から早々に立つと良い。骸は秘書の夏目君が片付けてくれる」
「しかし、お前はどちらに毒が入っているのか知っているんだろう?」
魚を殺すには、どれに毒が入っているかわかっていないとできない。
「だから、先に君に選ばせてやろう。残りを私が飲む」
「片方が無毒だという保障はない」
「私は、嘘を付くことはあるが、約束を破ったことは無い。それは、君のお父さんがよく知っているはずだ。当然君もな」
伍郎の手は震えていた。先程から握られているカップは、カチャカチャと音を立てる。
「君が最初に選んだカップをそのまま飲み干すのも良い。テーブルに残された、最後の希望と交換するのも良い」
最後の希望・・・しかし、それと取り替えたからといっても救いの運命が待っているとは限らない。
「伍郎、やめて!」
「君は黙っていろ!」
伍郎は、叫んだ。直美まで道連れするわけにはいかない。
(どちらかに毒が入っている・・・生きるか死ぬか、二分の一のゲーム)
藤原は、ラスベガスの一世一代の賭けに勝ち、大財閥を築いたと聞く。おそらく、彼は賭けの対象に自分の命を差し出すことに躊躇わないのだろう。伍郎の父も、彼との賭けに負けたらしい。
藤原は危険な男だ。いくら奴が約束に関して誠実であったとしても、自分が死んで人質の直美が無事であるという保障は無い。
伍郎は、この二分の一の賭けに勝つ方法・・・せめて有利に立つ方法を短い時間の間で必死に考えていた。
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有利に立つ方法を考えてください(^ー^)
価値と存在
2003年2月2日 川崎市川崎区の書店で万引きが発覚し、逃げた中学3年の男子生徒(15)が電車にはねられ死亡した事故で、書店側が市民から「人殺し」といった非難の電話などを受け、店頭に謝罪文を張り出した。閉店する意向だという。入り口の張り紙は「尊い命が失われたことについて重く受け止めております」と謝罪している。(毎日新聞)[1月30日21時43分]
古い事件(三日立てば忘れ去られる世の中、超特急で社会が流れていることを実感)だけど、読んでて腹が立ったから引用。
万引き。本を何だと思っているのだろう。本とは知識の集大成だ。量産タイプの本もときどきあるが、しかし長い年月をかけて作られた本が数多くあることを私は知っている。書物は知識を言葉によって直接問わなくとも教養を与えてくれる素晴らしいものである。それ相応の値段が付くのは当然だ。それを、何の代償もなく奪うのである。著者の知識を無断で奪うのである。何と失礼なことだろうか。
また、万引きの目的のもう1つに、古本屋に売って小遣いにする、というのもあるらしい。こちらはもっとタチが悪い。知識を得るという、その本に対する直接的な目的でなく、本が築き上げてきた“血肉”を噛みしめずに飲み込んでしまうのだから。
万引きにも色々種類があると思うが、本に対して愛着のある私にとって、本の万引きは特に許せない。その罪が発覚して咎められるのは当然。更には認めずに逃げて、不注意から命を失うのだから、自業自得というか因果応報というか。とりあえず、傍目で記事を読むには書店側に何の責任も無い。強引に罪を贖わせたのならともかく、勝手に盗もうとして勝手に電車に飛び込んだのだから。
何より許し難いのは、そんな下らないことで本屋を1つ潰すこと。知識を与えてくれるもっとも身近な存在を消してくれたのだ、そいつは。ただでさえ独占禁止法の如何関係なく大型書店が幅を利かせているというのに、また1つ本屋が消えたのだ。(これは私怨ね^^;)
加えて云えば、“ただ存在していただけ”で命に尊厳があると勘違いしている世論も許しがたい。社会に何の好影響をもたらしていない者で、命の価値があるというのは本来、自分と、その自分が直接認めている者に限るのではないのか。無価値の存在が、無価値の存在に対して無責任に発言するのは、単なる興味本位の野次馬。その程度の存在が、一時の好奇心で人を追い込む。しかし彼らは責任を感じていないだろう。正義さえ覚えている者もいるかもしれない。空間的な存在を理解していない愚かさを感じる。
人の命は平等というが、飽くまで“存在”として、である。社会的な、本質的な価値は私に言わせればそいつに無い。死刑制度もそれ故あるんじゃないか。存在するだけで命の価値が上がると思っちゃ大間違いだ。
--------------------------------------------
http://www.asahi.com/special/space/
シャトルが事故を起こし、乗員が全員亡くなったそうだ。
何て勿体無い!
前項の万引き犯に比べて、こちらは明らかに“尊い”命である。勿論彼らのことはCNNでちらっと聞いた程度しか私の記憶に無い。だが、彼らは世に“存在するだけ"で誰にとっても価値のある者である。
世界には60億人と、異常と云っていいほどの人が住んでいる。そのうちの、おそらく大多数が、社会に直接的な恩恵をもたらすことなく、普通に生きて普通に死んでいくのだろう。
人の、空間的でなく社会的存在は、他人にそれを認識されて始めて生まれるものだ。人類が宇宙に進出する、という夢みたいなことを彼らはやってのけた。おそらく帰還後、宇宙工学を発展させる功績を残したことだろう。その功績は、間接的に我々に良い方向へ影響を与えたに違いない。それが失敗に終わった。この社会的損失を勿体無い云わずして何と云おう。
世の中には、偉人と呼ぶに相応しい人が多くいる。彼らの存在は、既に社会に認められ、世間に貢献した、貢献するに違いない人物である。それから初めて価値が生まれ、損得勘定で見る命の価値が上がるのだろう。
古い事件(三日立てば忘れ去られる世の中、超特急で社会が流れていることを実感)だけど、読んでて腹が立ったから引用。
万引き。本を何だと思っているのだろう。本とは知識の集大成だ。量産タイプの本もときどきあるが、しかし長い年月をかけて作られた本が数多くあることを私は知っている。書物は知識を言葉によって直接問わなくとも教養を与えてくれる素晴らしいものである。それ相応の値段が付くのは当然だ。それを、何の代償もなく奪うのである。著者の知識を無断で奪うのである。何と失礼なことだろうか。
また、万引きの目的のもう1つに、古本屋に売って小遣いにする、というのもあるらしい。こちらはもっとタチが悪い。知識を得るという、その本に対する直接的な目的でなく、本が築き上げてきた“血肉”を噛みしめずに飲み込んでしまうのだから。
万引きにも色々種類があると思うが、本に対して愛着のある私にとって、本の万引きは特に許せない。その罪が発覚して咎められるのは当然。更には認めずに逃げて、不注意から命を失うのだから、自業自得というか因果応報というか。とりあえず、傍目で記事を読むには書店側に何の責任も無い。強引に罪を贖わせたのならともかく、勝手に盗もうとして勝手に電車に飛び込んだのだから。
何より許し難いのは、そんな下らないことで本屋を1つ潰すこと。知識を与えてくれるもっとも身近な存在を消してくれたのだ、そいつは。ただでさえ独占禁止法の如何関係なく大型書店が幅を利かせているというのに、また1つ本屋が消えたのだ。(これは私怨ね^^;)
加えて云えば、“ただ存在していただけ”で命に尊厳があると勘違いしている世論も許しがたい。社会に何の好影響をもたらしていない者で、命の価値があるというのは本来、自分と、その自分が直接認めている者に限るのではないのか。無価値の存在が、無価値の存在に対して無責任に発言するのは、単なる興味本位の野次馬。その程度の存在が、一時の好奇心で人を追い込む。しかし彼らは責任を感じていないだろう。正義さえ覚えている者もいるかもしれない。空間的な存在を理解していない愚かさを感じる。
人の命は平等というが、飽くまで“存在”として、である。社会的な、本質的な価値は私に言わせればそいつに無い。死刑制度もそれ故あるんじゃないか。存在するだけで命の価値が上がると思っちゃ大間違いだ。
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http://www.asahi.com/special/space/
シャトルが事故を起こし、乗員が全員亡くなったそうだ。
何て勿体無い!
前項の万引き犯に比べて、こちらは明らかに“尊い”命である。勿論彼らのことはCNNでちらっと聞いた程度しか私の記憶に無い。だが、彼らは世に“存在するだけ"で誰にとっても価値のある者である。
世界には60億人と、異常と云っていいほどの人が住んでいる。そのうちの、おそらく大多数が、社会に直接的な恩恵をもたらすことなく、普通に生きて普通に死んでいくのだろう。
人の、空間的でなく社会的存在は、他人にそれを認識されて始めて生まれるものだ。人類が宇宙に進出する、という夢みたいなことを彼らはやってのけた。おそらく帰還後、宇宙工学を発展させる功績を残したことだろう。その功績は、間接的に我々に良い方向へ影響を与えたに違いない。それが失敗に終わった。この社会的損失を勿体無い云わずして何と云おう。
世の中には、偉人と呼ぶに相応しい人が多くいる。彼らの存在は、既に社会に認められ、世間に貢献した、貢献するに違いない人物である。それから初めて価値が生まれ、損得勘定で見る命の価値が上がるのだろう。
覚醒の宴
2003年2月1日 深夜未明。私は、寝過ごしてしまわないようにと目覚まし時計を枕元に置いた。秒針のカチッ、コチッという音(交互に音が低くなったり高くなったりしているように聞こえるのは気のせいか?)が、真夜中の静寂に響いて中々寝付けない。数分後、脳裏を闇が襲う・・・。
数時間後。リリリリリリリリリリリリリリ・・・!この世で一番不快な音は何ですか、と聞かれたら、人によっては「黒板を削る音」「放射能が漏れているような機械音」などと答えるだろうが、私は開口一番このベル音を挙げるだろう。大音声が、至福のひと時を破る。その不快音を、一秒でも早く“消す”ために、布団の中から手で模索して、時計を叩く。時計は何事も無かったかのように押し黙る。私は安堵し、また極楽に抱かれることに決める。漆黒が辺りを包・・・
・・・・・・んではいけないのだ!折角目を覚ましたのにまた寝入ってしまう。これではわざわざ苦痛を受けた意味が無い。そう思ってはいても、未来に悲劇(=寝過ごす)が待っているとはわかっていても、今の幸せを生きることに心が専念するのである。
そこで誕生したのが『SNOOZE』機能である。転寝という意味だが、目覚ましをぶん殴った数分後に、またベルが鳴るという画期的なシステムだ。これで二度寝するあなたも安心して目覚めることができますよ、と宣伝されていた。今、電気屋に売られている時計でこの機能が付いていないものは無い。
これで安心して眠れることができる。言葉を反芻して、再び眠りに付く。グウ・・・・・・。
ところが、予想に反して時計は二度と鳴ることは無かった。スヌーズが正常に働いてくれなかったのか?寝過ごしてしまった私は心無き機械に対して叱咤した。時計は無言で語る。「あなたは起きたときに私のスイッチを切りましたよ」、と。
そうなのである。いくら素晴らしい機能がついていようとも、本体そのもののスイッチを切ってしまえば意味が無い。私は、「もう起きたんだから、わざわざ不快音を聞く必要は無いだろう」と高を括って、スイッチをオフにしてしまった。そして、寝てしまった。
時計業界の皆さん、何とかしてください。
数時間後。リリリリリリリリリリリリリリ・・・!この世で一番不快な音は何ですか、と聞かれたら、人によっては「黒板を削る音」「放射能が漏れているような機械音」などと答えるだろうが、私は開口一番このベル音を挙げるだろう。大音声が、至福のひと時を破る。その不快音を、一秒でも早く“消す”ために、布団の中から手で模索して、時計を叩く。時計は何事も無かったかのように押し黙る。私は安堵し、また極楽に抱かれることに決める。漆黒が辺りを包・・・
・・・・・・んではいけないのだ!折角目を覚ましたのにまた寝入ってしまう。これではわざわざ苦痛を受けた意味が無い。そう思ってはいても、未来に悲劇(=寝過ごす)が待っているとはわかっていても、今の幸せを生きることに心が専念するのである。
そこで誕生したのが『SNOOZE』機能である。転寝という意味だが、目覚ましをぶん殴った数分後に、またベルが鳴るという画期的なシステムだ。これで二度寝するあなたも安心して目覚めることができますよ、と宣伝されていた。今、電気屋に売られている時計でこの機能が付いていないものは無い。
これで安心して眠れることができる。言葉を反芻して、再び眠りに付く。グウ・・・・・・。
ところが、予想に反して時計は二度と鳴ることは無かった。スヌーズが正常に働いてくれなかったのか?寝過ごしてしまった私は心無き機械に対して叱咤した。時計は無言で語る。「あなたは起きたときに私のスイッチを切りましたよ」、と。
そうなのである。いくら素晴らしい機能がついていようとも、本体そのもののスイッチを切ってしまえば意味が無い。私は、「もう起きたんだから、わざわざ不快音を聞く必要は無いだろう」と高を括って、スイッチをオフにしてしまった。そして、寝てしまった。
時計業界の皆さん、何とかしてください。
アンチパラレルワールド
2003年1月31日 ―――まるで機械のように冷たい人間だ・・・
さて、あなたの為すべき行動が選択肢として眼前にある。シチュエーションは自由に想定するといい。道が幾つも枝分かれしていて、あなたはどの道を進むか迷っている。心の中で、この道を進めばああなってしまう、というシュミレーションを行う。もっとも最良な結果が得られるであろう、最善の道を見つけ、歩を進める。
ストップ、立ち止まろう。あなたが先ほどまで悩んで択一していた過去を思い出そう。あなたがこの道を選んだ、ということは確かな過去であり、他の道を進んだ自分は無い。つまり、自分は一本道を進んだに過ぎなく、運命は分岐していなかった。
従って、あなたは過去から一本道を進んでおり、同様にして常しえの未来における過去も果てしない一本道を進むことになる。あなたに選択する余地は無く、ただ定められるであろう運命に身を委ねて未来を進むしかない。
だから、現在に積み重ねられた条件を全てプログラミングし、法則の下にその条件をシュミレーションすれば、未来は予知可能であると云えよう。
そして、暗黙の内に築き上げられている“条件”。あなたの存在と行動のプログラム、この広い世界のプログラム、それを定めた存在・・・神。しかし、存在とは条件の下に必要なものなので、その神さえも何者かの意思に存在を認可されているはずである。
その何者かは一体何なのか。そして、その何者かをプログラムした何者かは何なのか。形而上な茫漠の彼方に見える極限に位置する存在・・・・・・数奇なる運命の下に存在を認められた我々は、どのようにすればそれを理解できるのだろう。
―――我々は機械の中にプログラムされた、神に踊らされている存在でしかない・・・
さて、あなたの為すべき行動が選択肢として眼前にある。シチュエーションは自由に想定するといい。道が幾つも枝分かれしていて、あなたはどの道を進むか迷っている。心の中で、この道を進めばああなってしまう、というシュミレーションを行う。もっとも最良な結果が得られるであろう、最善の道を見つけ、歩を進める。
ストップ、立ち止まろう。あなたが先ほどまで悩んで択一していた過去を思い出そう。あなたがこの道を選んだ、ということは確かな過去であり、他の道を進んだ自分は無い。つまり、自分は一本道を進んだに過ぎなく、運命は分岐していなかった。
従って、あなたは過去から一本道を進んでおり、同様にして常しえの未来における過去も果てしない一本道を進むことになる。あなたに選択する余地は無く、ただ定められるであろう運命に身を委ねて未来を進むしかない。
だから、現在に積み重ねられた条件を全てプログラミングし、法則の下にその条件をシュミレーションすれば、未来は予知可能であると云えよう。
そして、暗黙の内に築き上げられている“条件”。あなたの存在と行動のプログラム、この広い世界のプログラム、それを定めた存在・・・神。しかし、存在とは条件の下に必要なものなので、その神さえも何者かの意思に存在を認可されているはずである。
その何者かは一体何なのか。そして、その何者かをプログラムした何者かは何なのか。形而上な茫漠の彼方に見える極限に位置する存在・・・・・・数奇なる運命の下に存在を認められた我々は、どのようにすればそれを理解できるのだろう。
―――我々は機械の中にプログラムされた、神に踊らされている存在でしかない・・・
複製
2003年1月30日 最近クローン人間について話題になっている。倫理的問題はさておき、本質的価値は無いだろう。世代交代の意味は、異なる遺伝子が絡み合うことにある。そのままの遺伝子が受け継がれては何の意味も無い。進化も退化もない、ただの“無進化”だ。インセストがタブーとされているのはそのためである。
数年前、ドリーが誕生した。少なくとも私は、当時、人のクローンが誕生するとは微塵も思ってはいなかった。しかし、賛否両論はあるが、本当にクローン人間が今の世にあるとしたら、将来SFに見る“人格”そのもののコピーも可能になるかもしれない。
SFのテーマの1つに、“テレポートマシン”というものがある。その機械に人をスキャンすると、元素に分解されて、構成パターンを解析し、行きたい場所にある元素で再構成される、というものだ。
つまり、テレポートマシンにかけると元々の心身はこの世から抹消されるが、同時にこの世のどこかで、異なる心身を持つ同一人物が出現するのだ。
コンピュータで、データを“コピー”“カット(切り取り)”“ペースト(貼り付け)”する機能があるが、このことをテレポートマシンに当てはめて考えてみよう。
通常の動作は、テレポートマシンAが人間というデータを“カット”し、マシンBが“ペースト”する。カットを“コピー”に変えてみたらどうだろう。Aが“コピー”し、Bが“ペースト”する・・・。同一人物が二点に現れることになる。更にデータはクリップボートに格納されていればいくらでもペーストできる。Aが“コピー”若しくは“カット”し、B、C、Dで“ペースト”する。同一人物が多く出現するのである。
それぞれ、確かとした人格を持つ人間である。従って、Aでカットすることは一人の人間を殺すことに他ならない。更に事故がおきて各地に“ペースト”が行われたら。それどころか元素分解が失敗してAに瀕死の“自分”が取り残されたままBに自分が現れたら・・・貴方は本当の自分を見失い、もう1人の自分の存在を許せるだろうか。
クローンにしろテレポートにしろ、“複製”というものは恐ろしい結果以外をもたらすことはないに違いない。
数年前、ドリーが誕生した。少なくとも私は、当時、人のクローンが誕生するとは微塵も思ってはいなかった。しかし、賛否両論はあるが、本当にクローン人間が今の世にあるとしたら、将来SFに見る“人格”そのもののコピーも可能になるかもしれない。
SFのテーマの1つに、“テレポートマシン”というものがある。その機械に人をスキャンすると、元素に分解されて、構成パターンを解析し、行きたい場所にある元素で再構成される、というものだ。
つまり、テレポートマシンにかけると元々の心身はこの世から抹消されるが、同時にこの世のどこかで、異なる心身を持つ同一人物が出現するのだ。
コンピュータで、データを“コピー”“カット(切り取り)”“ペースト(貼り付け)”する機能があるが、このことをテレポートマシンに当てはめて考えてみよう。
通常の動作は、テレポートマシンAが人間というデータを“カット”し、マシンBが“ペースト”する。カットを“コピー”に変えてみたらどうだろう。Aが“コピー”し、Bが“ペースト”する・・・。同一人物が二点に現れることになる。更にデータはクリップボートに格納されていればいくらでもペーストできる。Aが“コピー”若しくは“カット”し、B、C、Dで“ペースト”する。同一人物が多く出現するのである。
それぞれ、確かとした人格を持つ人間である。従って、Aでカットすることは一人の人間を殺すことに他ならない。更に事故がおきて各地に“ペースト”が行われたら。それどころか元素分解が失敗してAに瀕死の“自分”が取り残されたままBに自分が現れたら・・・貴方は本当の自分を見失い、もう1人の自分の存在を許せるだろうか。
クローンにしろテレポートにしろ、“複製”というものは恐ろしい結果以外をもたらすことはないに違いない。