呪いの木乃伊
2003年2月23日 墓を暴いた者たちが不幸に見舞われる。更に彼らと、そしてミイラと関わった者たちも災難に遭う。人はその現象を“呪い”として畏怖するのである。
死者の呪い、神の祟り、罪の報い、不意の災厄・・・これは偶然ではなく見えざる者、超自然的存在の仕業だと片付けてもよいが、しかし単なる偶然としても何の矛盾も起こらない。
何せこの地球は広い。蠢く人々の数だけでも何十億とある。それだけの文化があるのだからその歴史も深く、郷土を培ってきた人々の数はそれこそ何百、何千億といるはずである。
とんでもない偶然の起こる確率はとてつもなく小さいに違いないが、しかし対象が何千億とあるのだから、その事象が1つや2つ発生してもおかしくない。いくつも並べられた乱数の中で、“3”が10回連続して起こる確率はとてつもなく低いが乱数を何千何億と並べれば先験的必然の下起こり得るを得ない。表計算ソフトが扱える方は実験してみるといい。
そして、とんでもない偶然は非常に目立つ。繁る青葉の中に紅一点があれば注目されないわけがない。全事象にその偶然が意識されるに決まっている。従って、呪いのようなことも偶然として矛盾は起こらない。
だから仮令想像だにしえないことが起こっても、それが不幸だろうが幸福だろうが、必然な運命だと考えてみてはどうだろうか。
死者の呪い、神の祟り、罪の報い、不意の災厄・・・これは偶然ではなく見えざる者、超自然的存在の仕業だと片付けてもよいが、しかし単なる偶然としても何の矛盾も起こらない。
何せこの地球は広い。蠢く人々の数だけでも何十億とある。それだけの文化があるのだからその歴史も深く、郷土を培ってきた人々の数はそれこそ何百、何千億といるはずである。
とんでもない偶然の起こる確率はとてつもなく小さいに違いないが、しかし対象が何千億とあるのだから、その事象が1つや2つ発生してもおかしくない。いくつも並べられた乱数の中で、“3”が10回連続して起こる確率はとてつもなく低いが乱数を何千何億と並べれば先験的必然の下起こり得るを得ない。表計算ソフトが扱える方は実験してみるといい。
そして、とんでもない偶然は非常に目立つ。繁る青葉の中に紅一点があれば注目されないわけがない。全事象にその偶然が意識されるに決まっている。従って、呪いのようなことも偶然として矛盾は起こらない。
だから仮令想像だにしえないことが起こっても、それが不幸だろうが幸福だろうが、必然な運命だと考えてみてはどうだろうか。
掃除機
2003年2月22日 昨日、蝿への愛着を書いた(悪趣味だと云わんでくれ、あれも知的好奇心の1つだ^^;)けど、その蝿や虻を退治するのに役立つのが掃除機である。
蝿だけでなくゴキブリや他の羽虫についてもそうだが、蝿叩きで打つと壁に染みが残るし、生捕にするわけにもいかない。(てかできない)罠を仕掛けておいて引っ掛かってくれれば楽だが、目の前に突然現れたものは直接退治するしか他無い。
掃除機は一瞬にして吸い取ってくれるし、生き物の断末魔も醜態も見ないで済む、まさに害虫退治のエキスパートとも云える必殺武器だ。
ところが、我が家の掃除機は10年前、いやそれ以上昔のかもしれない、という超年代もので、吸引力がかなり落ちていた。
と、云うわけで、古代の遺物はスクラップにして新品に買い換えた。最新式のサイクロン搭載の掃除機である。
サイクロンとは、要するに吸い取ったものを粉々の散り散りにして1つに固めちゃう機能らしい。すると、ゴミが1つに固まるわけだから紙パックが不要でそのままゴミ箱に捨てるだけでOKというすばらしい掃除機である。
しかも最新式で吸引力抜群だから、今まで取れなかったカーペットのホコリがすいすい取れちゃう。ホコリアレルギーの私としては嬉しい代物である。
と、宣伝してみたが、実は大いなる欠点があるのだった。ある時、目の前にゴキブリ登場!脂ぎった黒い体が何ともグロテスク。ダイヤのような輝きに交えて細長い触覚がピクピク動いている。何てカッコいいんだろう!まるで都会のハンター、カラスの申し子のような存在!・・・などと喜んでいる場合ではない。1匹見たら30匹いると思え、の鉄則に従って、発生源を断たんがために、掃除機の登場!最新型よ、役に立つときが来たぞ!
・・・・・・銃口、元い掃除機をゴキブリに向けようとした、その時。常日頃から冷静な私(は?)は全てを察したのだった。サイクロン掃除機は、
―――吸い取ったものを粉々の散り散りにする・・・
吸い取ったもの、即ちゴキブリ。
ゴキブリが粉々に。ゴキブリが散り散りに。
・・・・・・かくして、スクラップにされた旧式の掃除機は、再び活躍の舞台を迎えるのだった。
電気屋にはこういう点にも気を使ってほしいものである。
蝿だけでなくゴキブリや他の羽虫についてもそうだが、蝿叩きで打つと壁に染みが残るし、生捕にするわけにもいかない。(てかできない)罠を仕掛けておいて引っ掛かってくれれば楽だが、目の前に突然現れたものは直接退治するしか他無い。
掃除機は一瞬にして吸い取ってくれるし、生き物の断末魔も醜態も見ないで済む、まさに害虫退治のエキスパートとも云える必殺武器だ。
ところが、我が家の掃除機は10年前、いやそれ以上昔のかもしれない、という超年代もので、吸引力がかなり落ちていた。
と、云うわけで、古代の遺物はスクラップにして新品に買い換えた。最新式のサイクロン搭載の掃除機である。
サイクロンとは、要するに吸い取ったものを粉々の散り散りにして1つに固めちゃう機能らしい。すると、ゴミが1つに固まるわけだから紙パックが不要でそのままゴミ箱に捨てるだけでOKというすばらしい掃除機である。
しかも最新式で吸引力抜群だから、今まで取れなかったカーペットのホコリがすいすい取れちゃう。ホコリアレルギーの私としては嬉しい代物である。
と、宣伝してみたが、実は大いなる欠点があるのだった。ある時、目の前にゴキブリ登場!脂ぎった黒い体が何ともグロテスク。ダイヤのような輝きに交えて細長い触覚がピクピク動いている。何てカッコいいんだろう!まるで都会のハンター、カラスの申し子のような存在!・・・などと喜んでいる場合ではない。1匹見たら30匹いると思え、の鉄則に従って、発生源を断たんがために、掃除機の登場!最新型よ、役に立つときが来たぞ!
・・・・・・銃口、元い掃除機をゴキブリに向けようとした、その時。常日頃から冷静な私(は?)は全てを察したのだった。サイクロン掃除機は、
―――吸い取ったものを粉々の散り散りにする・・・
吸い取ったもの、即ちゴキブリ。
ゴキブリが粉々に。ゴキブリが散り散りに。
・・・・・・かくして、スクラップにされた旧式の掃除機は、再び活躍の舞台を迎えるのだった。
電気屋にはこういう点にも気を使ってほしいものである。
蜻蛉が低く飛んだら
2003年2月21日 雨になる。履物を放った「明日天気になーれ」よりはまあまあ科学的で、一解釈として“湿気が蜻蛉の羽が重くなるから”。
実は今我が家に蝿(虻かもしれないけど区別がつかん^^;)が大量発生している。秋に忍び込んできた鼠の屍骸に蛆が湧いたのか、植木鉢の肥料に湧いたのか定かではないが、兎に角大量発生しているのである。自室からリビングから果てや風呂場まで、必ず蝿が2,3匹いるという状況。夏に放置しておいた米から蛾が発生したことがあったが、どうやら我が家は虫や小動物の発生する環境に適しているらしい。
それはそうと、夜に風呂に入る。シャワーだけで済ます人がいるらしいが、この寒い世の中でよくもまあ耐えられるものだ。前述したように、照明のあたりを蝿が止まっている。洗面器の水をぶちまければ、虫は簡単に殺せるのだが、落ちてきた骸が浴槽に入ってこられたら困るので無視。虫は無視すれば全く気にならないのである(寒)
適温の湯にどっぷりと浸かっていると目の前に何かが現れる。云うまでもなく蝿である。浴槽の縁に止まる。目障りだからといって、お湯をかけるわけにもいかない。毒食らわば皿まで!私は蝿と睨めっこすることにした(何でやねん^^;)
全身真っ黒のちょっとグロテスクな肢体。飛散した湯をところどころに浴びていて、黒のテカリは一層に増していることを否めない。だが、観察しているとこれが結構楽しい。
頭を上下させる。濡れた地面に肢を滑らせる。濡れた顔を肢で擦る。後ろ肢で濡れた羽を引っ掛ける。どうして中々、1つ1つの動作が可愛いじゃありませんか。
そういえば、一茶が「やれ打つな 蝿が手をすり 足をすり」と云ったらしいがまさにその光景である。打たないで下さい、こうして貴方様に合掌して拝んでいるのだから。とまでは思えてこないが、殺そうという気が起きてこない。
目を離したら何時の間にかどこか(注;50センチ先の照明)へ飛んでいっていた。今度蝿を掃除機で吸い込むときも、今までとは別の目で見ることができるかもしれない(何だかんだ云っても結局は殺す^^;)
実は今我が家に蝿(虻かもしれないけど区別がつかん^^;)が大量発生している。秋に忍び込んできた鼠の屍骸に蛆が湧いたのか、植木鉢の肥料に湧いたのか定かではないが、兎に角大量発生しているのである。自室からリビングから果てや風呂場まで、必ず蝿が2,3匹いるという状況。夏に放置しておいた米から蛾が発生したことがあったが、どうやら我が家は虫や小動物の発生する環境に適しているらしい。
それはそうと、夜に風呂に入る。シャワーだけで済ます人がいるらしいが、この寒い世の中でよくもまあ耐えられるものだ。前述したように、照明のあたりを蝿が止まっている。洗面器の水をぶちまければ、虫は簡単に殺せるのだが、落ちてきた骸が浴槽に入ってこられたら困るので無視。虫は無視すれば全く気にならないのである(寒)
適温の湯にどっぷりと浸かっていると目の前に何かが現れる。云うまでもなく蝿である。浴槽の縁に止まる。目障りだからといって、お湯をかけるわけにもいかない。毒食らわば皿まで!私は蝿と睨めっこすることにした(何でやねん^^;)
全身真っ黒のちょっとグロテスクな肢体。飛散した湯をところどころに浴びていて、黒のテカリは一層に増していることを否めない。だが、観察しているとこれが結構楽しい。
頭を上下させる。濡れた地面に肢を滑らせる。濡れた顔を肢で擦る。後ろ肢で濡れた羽を引っ掛ける。どうして中々、1つ1つの動作が可愛いじゃありませんか。
そういえば、一茶が「やれ打つな 蝿が手をすり 足をすり」と云ったらしいがまさにその光景である。打たないで下さい、こうして貴方様に合掌して拝んでいるのだから。とまでは思えてこないが、殺そうという気が起きてこない。
目を離したら何時の間にかどこか(注;50センチ先の照明)へ飛んでいっていた。今度蝿を掃除機で吸い込むときも、今までとは別の目で見ることができるかもしれない(何だかんだ云っても結局は殺す^^;)
鮮烈
2003年2月20日 明るい色、暗い色、濃い色、淡い色、鮮やかな色・・・これらの色を混ぜ合わせることで多々たる色が作られる。
しかし、色とは視覚を通じて認識されるものだ。色相、明度、彩度、これらの量によって人は色を視覚によって判断する。
つまり、色とは極めて主観的なものであり、自分自身の知覚によって初めて存在の役割を果たすものである。
従って、この世界に何億という人格がある限り、“色”には多くの解釈が与えられるはずだ。
物体Aがある。そのAは他意無く確かな色彩を備えている。人物Aはそれを『温かい色』と表現した。人物Bはそれを『冷たい色』と表現した。
そして、物体Aは広く世間に『青色』と評価されているものだったとしよう。青色は一般的に冷たい色だ。つまり、多くの人の主観が、青色を冷たいと認めているのだ。
そしてごく少数のうちの1人である人物Aは、その認識から外れている。つまり、色覚異常のレッテルを貼られる。
人とは何て主観的で自分勝手な生き物なのだろう。
しかし、色とは視覚を通じて認識されるものだ。色相、明度、彩度、これらの量によって人は色を視覚によって判断する。
つまり、色とは極めて主観的なものであり、自分自身の知覚によって初めて存在の役割を果たすものである。
従って、この世界に何億という人格がある限り、“色”には多くの解釈が与えられるはずだ。
物体Aがある。そのAは他意無く確かな色彩を備えている。人物Aはそれを『温かい色』と表現した。人物Bはそれを『冷たい色』と表現した。
そして、物体Aは広く世間に『青色』と評価されているものだったとしよう。青色は一般的に冷たい色だ。つまり、多くの人の主観が、青色を冷たいと認めているのだ。
そしてごく少数のうちの1人である人物Aは、その認識から外れている。つまり、色覚異常のレッテルを貼られる。
人とは何て主観的で自分勝手な生き物なのだろう。
御茶を濁す
2003年2月19日 インターネットをやっていると面白い熟語を知ることができる。その一例が、
『滅茶苦茶』
日常生活の中では、よっぽど興味のある人や、ちょっと頭の螺子が取れちゃったような人でないと知ってそうでないこの漢字。ところが、インターネットなどでこの言葉を使うと、IMEが勝手に漢字変換をしてくれて、(へぇ、こんな漢字を書くのかー)と知ることができてしまう。それが自然に身について教養になる、インターネットのいいところだ。
滅茶苦茶は目茶苦茶とも書くのも同時に知る。難しい漢字どころか別の書き方さえも覚えられるなんて、と感激していると別の熟語が現れる。
『無茶苦茶』
何て☆○×□な野郎だ!、てな感じに使う熟語。滅茶苦茶と韻が似ていて、同じ感情的な表現であるという以外にも同類項を持っている。それは
『茶』
茶とは云うまでもなく御茶のことで、心地よい風味と遣る瀬無い苦さが何とも云えない飲み物、元い出し汁で、ホンの一服に、食事の片隅にでもあるとそれだけで価値を持つものなわけですが、その庶民的でしかし高貴な御茶のこの扱われようは何ですか。まさに“御茶を濁し”ているとしか云いようがない。そのような言葉を他にも探してみると、
『御茶を濁す』
『御茶を挽く』
『御茶にする』
『茶化す』
『茶々を入れる』
『御茶の子さいさい』
『御茶坊主』
そして、無茶苦茶の転か、『破茶目茶』『愚茶愚茶』など(但し国語辞典になかったんでこれは最近の当て字かと^^;)もある。
おそらく、江戸時代かそれ以前の商人(ショウニンと読まないように)や、お偉方の付き人を『てめぇは所詮茶を煎じる程度の小僧なんだよ』とかいって冷やかして言ったのが定着したんだろうな・・・と予想してみる。
他にも『御茶を濁した』熟語があったら是非教えて下さい(^^)
(尚、茶を濁すの本来の意味と勘違いしないように・・・)
『滅茶苦茶』
日常生活の中では、よっぽど興味のある人や、ちょっと頭の螺子が取れちゃったような人でないと知ってそうでないこの漢字。ところが、インターネットなどでこの言葉を使うと、IMEが勝手に漢字変換をしてくれて、(へぇ、こんな漢字を書くのかー)と知ることができてしまう。それが自然に身について教養になる、インターネットのいいところだ。
滅茶苦茶は目茶苦茶とも書くのも同時に知る。難しい漢字どころか別の書き方さえも覚えられるなんて、と感激していると別の熟語が現れる。
『無茶苦茶』
何て☆○×□な野郎だ!、てな感じに使う熟語。滅茶苦茶と韻が似ていて、同じ感情的な表現であるという以外にも同類項を持っている。それは
『茶』
茶とは云うまでもなく御茶のことで、心地よい風味と遣る瀬無い苦さが何とも云えない飲み物、元い出し汁で、ホンの一服に、食事の片隅にでもあるとそれだけで価値を持つものなわけですが、その庶民的でしかし高貴な御茶のこの扱われようは何ですか。まさに“御茶を濁し”ているとしか云いようがない。そのような言葉を他にも探してみると、
『御茶を濁す』
『御茶を挽く』
『御茶にする』
『茶化す』
『茶々を入れる』
『御茶の子さいさい』
『御茶坊主』
そして、無茶苦茶の転か、『破茶目茶』『愚茶愚茶』など(但し国語辞典になかったんでこれは最近の当て字かと^^;)もある。
おそらく、江戸時代かそれ以前の商人(ショウニンと読まないように)や、お偉方の付き人を『てめぇは所詮茶を煎じる程度の小僧なんだよ』とかいって冷やかして言ったのが定着したんだろうな・・・と予想してみる。
他にも『御茶を濁した』熟語があったら是非教えて下さい(^^)
(尚、茶を濁すの本来の意味と勘違いしないように・・・)
バージョンアップ
2003年2月18日 マイコンを一掃して、基本アプリケーションをダウンロードしてみた。すると驚くべきことにほとんどのソフトのバージョンが上がっている!(って、当たり前か^^;)
インターネットエクスプローラーにメディアプレイヤーにオフィスにリアルプレイヤーにその他諸々・・・共通して言えることは“使いにくくなった”。
無駄な演出、無駄な機能、そして高スペックを要する大きな重圧・・・確かに初心者にとってはしち面倒くさい設定とか、クッキーとかで履歴を残したりすれば使いやすいだろうけど、その無駄な機能に押し潰されて重要な機能が使いにくくなっているものが多い。
そういえば、総本山のウインドウズも、XPになってからどう考えても初心者向けの配慮ばかりで使いにくくなっていた。(因みに私のは98^^;;)低スペックでも使いやすいようライト版なんてのを出して欲しいものだ。
どうも、バージョンが上がるとモノというのはおかしくなってしまうらしい。それはリアルの世界でも一緒で、言語や常識など、変遷と混乱は同一のもののようだ。
インターネットエクスプローラーにメディアプレイヤーにオフィスにリアルプレイヤーにその他諸々・・・共通して言えることは“使いにくくなった”。
無駄な演出、無駄な機能、そして高スペックを要する大きな重圧・・・確かに初心者にとってはしち面倒くさい設定とか、クッキーとかで履歴を残したりすれば使いやすいだろうけど、その無駄な機能に押し潰されて重要な機能が使いにくくなっているものが多い。
そういえば、総本山のウインドウズも、XPになってからどう考えても初心者向けの配慮ばかりで使いにくくなっていた。(因みに私のは98^^;;)低スペックでも使いやすいようライト版なんてのを出して欲しいものだ。
どうも、バージョンが上がるとモノというのはおかしくなってしまうらしい。それはリアルの世界でも一緒で、言語や常識など、変遷と混乱は同一のもののようだ。
科学万能
2003年2月17日 自然科学とはその場で起きている現象を解明する学問である。この定義に間違いがなければ、この世の中は科学万能であると云える、と私は思う。
今あなたが眺めているコンピュータが動いていること、これは科学によって作られたものであり、科学で解明できることである。手がマウスを動かしていること。これは科学の一体系生物学によって解明できることであり、解明されるべきことである。今部屋が明るいこと。科学の一体系光学によって解明できることであり、解明されるべきことである。
――科学が万能だって?それなら俺を過去に連れてってみてくれよ。
科学万能に対する反論にこのような理論を用いるのは愚かである。科学とは願望が可能かどうかを論ずるものではない。不可思議な現象の因果を解明するものであるのだから。
――なら、幽霊の存在は何なんだ。でっち上げなんかじゃなく、それを目撃している人が沢山いるぞ。
この反論も些か物足りない。科学とは、この世で起こり得る現象を法則化したものだ。過去に起きたことが科学に反するものであるかどうかなど、その現象が何かを理解していないといけない。いくら不可思議な現象が過去に起きたからといって、記憶の中のものを科学することはできない。
――理解しろ、と云われても、理解できないものなんだからしょうがないじゃないか
言葉を誤ってはいけない。それは理解できないのではなく、理解しようとしていないだけだ。そこに在るからには何か理由があるはずである。それを何でか知らないがとにかくいる、で済ましては、原因を追究する科学の根本に反している。科学万能への盾になるほどの事実ではない。
科学とはその本質を理解することに対して信頼できる事実を得ることであり、得られた事実は科学となる。もし、第六感だとか神的存在だとか幽霊だとかへの理解を我々が得ることができたら、それも科学になるのである。
要するに、その存在が確かと理解できるのならば、将来的には宗教などといったことも科学の一体系と成り得ることなのである。そのとき、科学が万能でないという盾は既に崩れ去っているのである。
今あなたが眺めているコンピュータが動いていること、これは科学によって作られたものであり、科学で解明できることである。手がマウスを動かしていること。これは科学の一体系生物学によって解明できることであり、解明されるべきことである。今部屋が明るいこと。科学の一体系光学によって解明できることであり、解明されるべきことである。
――科学が万能だって?それなら俺を過去に連れてってみてくれよ。
科学万能に対する反論にこのような理論を用いるのは愚かである。科学とは願望が可能かどうかを論ずるものではない。不可思議な現象の因果を解明するものであるのだから。
――なら、幽霊の存在は何なんだ。でっち上げなんかじゃなく、それを目撃している人が沢山いるぞ。
この反論も些か物足りない。科学とは、この世で起こり得る現象を法則化したものだ。過去に起きたことが科学に反するものであるかどうかなど、その現象が何かを理解していないといけない。いくら不可思議な現象が過去に起きたからといって、記憶の中のものを科学することはできない。
――理解しろ、と云われても、理解できないものなんだからしょうがないじゃないか
言葉を誤ってはいけない。それは理解できないのではなく、理解しようとしていないだけだ。そこに在るからには何か理由があるはずである。それを何でか知らないがとにかくいる、で済ましては、原因を追究する科学の根本に反している。科学万能への盾になるほどの事実ではない。
科学とはその本質を理解することに対して信頼できる事実を得ることであり、得られた事実は科学となる。もし、第六感だとか神的存在だとか幽霊だとかへの理解を我々が得ることができたら、それも科学になるのである。
要するに、その存在が確かと理解できるのならば、将来的には宗教などといったことも科学の一体系と成り得ることなのである。そのとき、科学が万能でないという盾は既に崩れ去っているのである。
初期化
2003年2月16日 最近マイコンが不調なので、初期化することにしました。レジストリその他を覗いてみるともうグッチャグッチャ(T_T)
だから、当分自サイトとこの日記以外に出没できません。
だから、当分自サイトとこの日記以外に出没できません。
人工と自然
2003年2月15日 自然にないものを自然界に持ち込んではいけない、といったことがよく云われる。例えば、携帯電話の電波などは有害ではないか、と問題とされているが、これまでの自然界にないものを持ち込んだ結果である。
しかし、人が自然界の一部であることを忘れてはいないだろうか。人が自然界の一部である以上、それによって作り出されたものも自然界の派生であるのではないか。
生物とはなんだろう。自ら運動をし、外部のものを吸収して自らを形成するものの一部とし、自らの分身を作り出し増殖する、それが生物であるように思える。
最近、ロボット工学が目覚しい発展を見せているが、ロボットと上の生物にはどのような違いがあるのだろう。エネルギーさえあれば自ら運動できる。プログラムされていればエネルギーを自らで供給することができる。プログラムされていれば、自分の分身を機械的に作り出すことができる。
神が創造した生物は、人が創造した生物と何の相違も見られないではないか。そもそも人の心とは生物学的に見れば電気信号に過ぎないことが知られている。それをプログラムである、と考えればどうだろう。生物と機械の同一性を否定するものはどこにもない。
魂という逃げ道を作らない限り、人は神になれる、のかもしれない。
しかし、人が自然界の一部であることを忘れてはいないだろうか。人が自然界の一部である以上、それによって作り出されたものも自然界の派生であるのではないか。
生物とはなんだろう。自ら運動をし、外部のものを吸収して自らを形成するものの一部とし、自らの分身を作り出し増殖する、それが生物であるように思える。
最近、ロボット工学が目覚しい発展を見せているが、ロボットと上の生物にはどのような違いがあるのだろう。エネルギーさえあれば自ら運動できる。プログラムされていればエネルギーを自らで供給することができる。プログラムされていれば、自分の分身を機械的に作り出すことができる。
神が創造した生物は、人が創造した生物と何の相違も見られないではないか。そもそも人の心とは生物学的に見れば電気信号に過ぎないことが知られている。それをプログラムである、と考えればどうだろう。生物と機械の同一性を否定するものはどこにもない。
魂という逃げ道を作らない限り、人は神になれる、のかもしれない。
鬼門
2003年2月14日 寄せ付けない場所、行ってはいけない場所、行くべきではない場所ってのは必ずある。それはリアルでもバーチャルでも同じ。
と、どこかの誰かに呼びかけてみる。
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ふと思ったんだが、タイトルの横の丸顔君、役に立ってないね(^^;;;)
と、どこかの誰かに呼びかけてみる。
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ふと思ったんだが、タイトルの横の丸顔君、役に立ってないね(^^;;;)
擬似的金縛り
2003年2月13日 夜中、ふと目覚めることがある。朦朧とした意識の中で身体を動かそうとするが、腰が上がらない。それどころか腕、指さえもピクリと動かない―――
というのが“金縛り”現象らしいが、私は体験したことがない。ところが昨晩、金縛りを擬似的に体験する方法を発見した。
暗示、をかけるのである。夜、寝付きかけたところで、“自分の身体が動かない”と暗示をかける。別に難しいことじゃない。心の中でそう思うだけでいい。息を少し止めてみるとさらに効果的だ。
さあ、起き上がってみよう。起き上がろうとするが、心の片隅に“動いてはいけない”という気持ちがあるために、指さえも動かないはずだ。
起き上がりたいけど、起き上がってはいけない、心の中を逆心理のジレンマに陥らせることで、金縛りに遭(逢)えるのである。尚、金縛りを解くのは簡単。深呼吸をするか、もしくはそのまま寝入ってしまうだけだ。
もしかして、世の中で金縛りと云われていることは、幽霊の仕業なんかでなく、この程度の暗示に過ぎないんじゃないだろうか。
というのが“金縛り”現象らしいが、私は体験したことがない。ところが昨晩、金縛りを擬似的に体験する方法を発見した。
暗示、をかけるのである。夜、寝付きかけたところで、“自分の身体が動かない”と暗示をかける。別に難しいことじゃない。心の中でそう思うだけでいい。息を少し止めてみるとさらに効果的だ。
さあ、起き上がってみよう。起き上がろうとするが、心の片隅に“動いてはいけない”という気持ちがあるために、指さえも動かないはずだ。
起き上がりたいけど、起き上がってはいけない、心の中を逆心理のジレンマに陥らせることで、金縛りに遭(逢)えるのである。尚、金縛りを解くのは簡単。深呼吸をするか、もしくはそのまま寝入ってしまうだけだ。
もしかして、世の中で金縛りと云われていることは、幽霊の仕業なんかでなく、この程度の暗示に過ぎないんじゃないだろうか。
起こされない恐怖
2003年2月12日 私の目覚まし時計は滅茶苦茶五月蝿い。心臓がドキッとして、脳味噌が貧血を起こして、ショック死するかもしれないな、と何度も思ったことがある。夜、目覚ましをセットするとき、自分がそれで死んだらどうしよう、なんて心配をしてみようかと思ったこともある。
逆説的に考えよう。もし、その五月蝿いベル音に圧倒されて心臓が止まり、そのまま二度と目覚めることがなかったら、一体私はどうなるのだろう。
答えは、意識を失ったままに死ぬので、自分としての死も生さえも感じることなく存在が消滅する、だ。(天国、若しくは地獄で自分の死が確認できるとかいったことは他に置いておく)
つまりは、目覚ましをセットするとき、朝ショック死するかもしれない、という心配をする必要はない。せいぜい、遺体の処理がどうなるだろうか程度で結構だ。何故なら、自分という、自分にとっての存在は、夢の中に封印されるのだから。
まぁ、睡眠中ってのは実に健康的なもので、心臓に負荷がかかっているわけではないのだから、ショック死するようなことはほとんどないだろうが。そうでなかったら毎朝どこかで誰かが喚いている時計の前で死んでいることになるが、そんなニュースは滅多に聞かない。
逆説的に考えよう。もし、その五月蝿いベル音に圧倒されて心臓が止まり、そのまま二度と目覚めることがなかったら、一体私はどうなるのだろう。
答えは、意識を失ったままに死ぬので、自分としての死も生さえも感じることなく存在が消滅する、だ。(天国、若しくは地獄で自分の死が確認できるとかいったことは他に置いておく)
つまりは、目覚ましをセットするとき、朝ショック死するかもしれない、という心配をする必要はない。せいぜい、遺体の処理がどうなるだろうか程度で結構だ。何故なら、自分という、自分にとっての存在は、夢の中に封印されるのだから。
まぁ、睡眠中ってのは実に健康的なもので、心臓に負荷がかかっているわけではないのだから、ショック死するようなことはほとんどないだろうが。そうでなかったら毎朝どこかで誰かが喚いている時計の前で死んでいることになるが、そんなニュースは滅多に聞かない。
世界観
2003年2月11日【名和昆虫博物館館長の名和秀雄さん死去】
名和 秀雄さん(なわ・ひでお=名和昆虫研究所長、名和昆虫博物館長)は9日、うっ血性心不全で死去、78歳。通夜は11日午後7時、葬儀は12日午後1時から岐阜市松山町13の黙山自福寺で。喪主は長女の夫哲夫さん。自宅は同市大宮町2の18。
ギフチョウの発見で知られる名和靖氏(1857〜1926年)のひ孫の夫。靖氏が岐阜市内に開設した研究所と博物館の4代目所長兼館長。昆虫研究の傍ら、昆虫を通した自然保護教育にも力を注いだ。
尊敬すべき方の一人、ギフチョウの先生が亡くなられてしまった・・・名和昆虫博物館は行ったことはありませんが、彼については尊敬していました。お悔やみ申し上げます。
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漫画、アニメ、ゲームなどは、小説と違って視覚、聴覚に訴えるビジュアル面が重要となってくる。読者、視聴者、プレイヤーとしての私は、勿論それらのクオリティが高ければ高いほどいいと思う。しかし、それらの基盤となっているのはシナリオである。この礎としてのシナリオの質が良くなければ、ビジュアルがいくら良質でも意味がない。いくら絵が綺麗な漫画家でも、ストーリーに味がない漫画を描いていないとすぐに自然消滅してしまう様を漫画雑誌を読んでると何度も見かける。
シナリオにはファンタジーやSFやメルヘンなど色々ジャンルがあるだろうが、それらと密接に相関しているのが世界観である。特にファンタジーやSFなどでは、世界観がはっきり設定されていないと、ハチャメチャなシナリオになってしまう。
多くのエンターテイメントは、シナリオの質と世界観の質が負の相関関係を持っているように思える。シナリオの質が上がると、世界観の質は下がるし、世界観の質が上がるとシナリオの質が下がる。
例えば、数年前社会的ブームを巻き起こした新世紀エヴァンゲリオン。あれは、SFアニメの中でも特に滅茶苦茶な、意味不明なほどの世界観を持っていた。しかし、その世界観(SF的背景とか人間関係とか)が先走っていて、シナリオがそれに追いついていないような感があった。(何かガイナックスがエヴァ再起動とかやってるみたいだけど世も末だね^^;)
もう1つ。こちらも社会的ブームとなっているポケットモンスター。私はゲームボーイを持っていないので、情報としてでしかそれを知らないが、進化過程とか存在理由とかが無視されてるとしか思えないほど理不尽に存在しているポケモン。だが、そのポケモンの豊富さや、バラエティなキャラクターなどが生きている。シナリオが良質で世界観が今一なエンターテイメントだ。(但し、ここで挙げたのは飽くまでポケモン初期バージョンで、金銀とかルビーサファイヤとかは私は全く知らないので悪しからず^^;)
ビジュアル面だけでなく小説的な部分にもクオリティを持ち、シナリオと世界観の質が正の相関関係を持っているようなエンターテイメントは現れないだろうか・・・。(そんな凄いのは絶対出ないだろうね^^;)
名和 秀雄さん(なわ・ひでお=名和昆虫研究所長、名和昆虫博物館長)は9日、うっ血性心不全で死去、78歳。通夜は11日午後7時、葬儀は12日午後1時から岐阜市松山町13の黙山自福寺で。喪主は長女の夫哲夫さん。自宅は同市大宮町2の18。
ギフチョウの発見で知られる名和靖氏(1857〜1926年)のひ孫の夫。靖氏が岐阜市内に開設した研究所と博物館の4代目所長兼館長。昆虫研究の傍ら、昆虫を通した自然保護教育にも力を注いだ。
尊敬すべき方の一人、ギフチョウの先生が亡くなられてしまった・・・名和昆虫博物館は行ったことはありませんが、彼については尊敬していました。お悔やみ申し上げます。
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漫画、アニメ、ゲームなどは、小説と違って視覚、聴覚に訴えるビジュアル面が重要となってくる。読者、視聴者、プレイヤーとしての私は、勿論それらのクオリティが高ければ高いほどいいと思う。しかし、それらの基盤となっているのはシナリオである。この礎としてのシナリオの質が良くなければ、ビジュアルがいくら良質でも意味がない。いくら絵が綺麗な漫画家でも、ストーリーに味がない漫画を描いていないとすぐに自然消滅してしまう様を漫画雑誌を読んでると何度も見かける。
シナリオにはファンタジーやSFやメルヘンなど色々ジャンルがあるだろうが、それらと密接に相関しているのが世界観である。特にファンタジーやSFなどでは、世界観がはっきり設定されていないと、ハチャメチャなシナリオになってしまう。
多くのエンターテイメントは、シナリオの質と世界観の質が負の相関関係を持っているように思える。シナリオの質が上がると、世界観の質は下がるし、世界観の質が上がるとシナリオの質が下がる。
例えば、数年前社会的ブームを巻き起こした新世紀エヴァンゲリオン。あれは、SFアニメの中でも特に滅茶苦茶な、意味不明なほどの世界観を持っていた。しかし、その世界観(SF的背景とか人間関係とか)が先走っていて、シナリオがそれに追いついていないような感があった。(何かガイナックスがエヴァ再起動とかやってるみたいだけど世も末だね^^;)
もう1つ。こちらも社会的ブームとなっているポケットモンスター。私はゲームボーイを持っていないので、情報としてでしかそれを知らないが、進化過程とか存在理由とかが無視されてるとしか思えないほど理不尽に存在しているポケモン。だが、そのポケモンの豊富さや、バラエティなキャラクターなどが生きている。シナリオが良質で世界観が今一なエンターテイメントだ。(但し、ここで挙げたのは飽くまでポケモン初期バージョンで、金銀とかルビーサファイヤとかは私は全く知らないので悪しからず^^;)
ビジュアル面だけでなく小説的な部分にもクオリティを持ち、シナリオと世界観の質が正の相関関係を持っているようなエンターテイメントは現れないだろうか・・・。(そんな凄いのは絶対出ないだろうね^^;)
山に登る
2003年2月10日 高く聳え、蜿蜒とする尾根。なだらかな坂、そして畦道。山とは様々な景色を見せてくれ、どんなエンターテイメントよりも興味深く、面白い。
移ろう景色とともに、困難な場所があちこちにある。一歩誤れば浮石で踏み外してまっさかさまに崖っぷちへ落ちてしまうかもしれない。
多くの障害を切り抜け、頂上に立つ。気紛れな天候、寒さと空気に耐えしぎながら育まれる動植物、そしてこの世の全てを凌駕したように錯覚される景色、山に登ることとはこの感動を得るためである、と誰もが思う・・・
・・・のだそうだ。これが山に登ることであり、目的ははっきり云って“山があるから”といういい加減なものであり、しかしそれで十分だ。私もこれに異論を唱えるつもりはない。
この登山は屡“挑戦”に喩えられる。複雑な数学の問題、奇怪な物理現象、古代に隠された神秘、これらを発掘することへの好奇心は、“山に登る”ことと同じである。また、幾多の障害が待ち受けており、一歩間違えればその先全てが駄目になるようなルートが待ち受けている。
大自然は、古来より山と海に二分され、人の生活環境にある側の山。生活とともに心までそれに影響を受けている。何と素晴らしい存在であろうか。
移ろう景色とともに、困難な場所があちこちにある。一歩誤れば浮石で踏み外してまっさかさまに崖っぷちへ落ちてしまうかもしれない。
多くの障害を切り抜け、頂上に立つ。気紛れな天候、寒さと空気に耐えしぎながら育まれる動植物、そしてこの世の全てを凌駕したように錯覚される景色、山に登ることとはこの感動を得るためである、と誰もが思う・・・
・・・のだそうだ。これが山に登ることであり、目的ははっきり云って“山があるから”といういい加減なものであり、しかしそれで十分だ。私もこれに異論を唱えるつもりはない。
この登山は屡“挑戦”に喩えられる。複雑な数学の問題、奇怪な物理現象、古代に隠された神秘、これらを発掘することへの好奇心は、“山に登る”ことと同じである。また、幾多の障害が待ち受けており、一歩間違えればその先全てが駄目になるようなルートが待ち受けている。
大自然は、古来より山と海に二分され、人の生活環境にある側の山。生活とともに心までそれに影響を受けている。何と素晴らしい存在であろうか。
願い事の矛盾
2003年2月9日 古典的小話に、
『〜つだけ願いを叶えて上げましょう』
なんてのがある。魔法の精だかなんだかが出てくるんだが、たいていは主人公が欲に釣られて結局いい結果をもたらさない教訓に終始する。
主人公は何でも願っていいのだが、1つだけタブーとされているものがある。
『あと〜回願い事をさせて下さい』
しかし、これには矛盾がある。もともと相手とは『〜回だけ願いを叶えてあげる』という契約が結んであり、それ以上でもそれ以下でも許されない。この願いを認めると、『〜回だけ』でなくなるので契約違反である。つまり、魔法の精はこの願い事を無条件で断ることができる。
『〜つだけ願いを叶えて上げましょう』
なんてのがある。魔法の精だかなんだかが出てくるんだが、たいていは主人公が欲に釣られて結局いい結果をもたらさない教訓に終始する。
主人公は何でも願っていいのだが、1つだけタブーとされているものがある。
『あと〜回願い事をさせて下さい』
しかし、これには矛盾がある。もともと相手とは『〜回だけ願いを叶えてあげる』という契約が結んであり、それ以上でもそれ以下でも許されない。この願いを認めると、『〜回だけ』でなくなるので契約違反である。つまり、魔法の精はこの願い事を無条件で断ることができる。
代数のパラドクス
2003年2月8日 とんでもない文字式の展開をMysteryでしなくてはいけない。紙が埋まるまで挑戦して、検算してみたら間違ってるし(T_T)誰か、文字式を効率よく行ってくれる電卓ソフトって持ってませんか?
問題集が羨ましい。コツさえ掴めば簡単に展開“できる”ように仕組んであるから。
そこでふと、1つ簡単な代数のパラドクスを思いつきました。昔から知ってはいたんですが気づかなかった問題です(どういう意味だ^^;)
a^2-2ab+b^2=a^2-2ab+b^2
(a-b)^2=(b-a)^2
a-b=b-a
おまけにも1つ。
6÷2=15÷5
2(3÷1)=5(3÷1)
2=5
・・・くだらないですね、ゴメンなさい(--;)
問題集が羨ましい。コツさえ掴めば簡単に展開“できる”ように仕組んであるから。
そこでふと、1つ簡単な代数のパラドクスを思いつきました。昔から知ってはいたんですが気づかなかった問題です(どういう意味だ^^;)
a^2-2ab+b^2=a^2-2ab+b^2
(a-b)^2=(b-a)^2
a-b=b-a
おまけにも1つ。
6÷2=15÷5
2(3÷1)=5(3÷1)
2=5
・・・くだらないですね、ゴメンなさい(--;)
永久運動機
2003年2月7日 人類の見果てぬ夢(らしい)、永久運動機。車輪がこの空間が滅びない限り、時間が終わらない限り永久に廻り続ける機械。
古代から様々な試みがされているらしいが、尽く失敗しているという。何故なら、エネルギーは不変であるが故に代謝、循環ができないからだ。
しかしよく考えてみよう。この大宇宙空間。果ての有る無しに関係なく濃度は一定であるはず。ゼロからエネルギーが発生することはない(だろう)から、時間の連続と空間は相互関係にある。
即ち、空間ではエネルギーの循環が常に行われている。空間そのものが永久運動機なのだ。
古代から様々な試みがされているらしいが、尽く失敗しているという。何故なら、エネルギーは不変であるが故に代謝、循環ができないからだ。
しかしよく考えてみよう。この大宇宙空間。果ての有る無しに関係なく濃度は一定であるはず。ゼロからエネルギーが発生することはない(だろう)から、時間の連続と空間は相互関係にある。
即ち、空間ではエネルギーの循環が常に行われている。空間そのものが永久運動機なのだ。
パズル雑誌
2003年2月6日 昨今のパズル雑誌はなんとかならないだろうか。イラストロジック、クロスワード・・・毎回毎回、本質的には同じものばかり。クロスワードはどちらかといえば雑学が試されるという点もあるが、イラストロジックについてはどうだろう。意訳すれば論理による図。数字によって記号化されたものを絵に修復する。
最初の二、三回は結構手こずるだろう。私もます目の多いものに挑戦したときは苦労した。だが、一線を越えるとコツというものが掴め、どんなに複雑なものでも楽に解けるようになる。そうなると、通り一遍の機械的作業になるので、暗号を解読するコンピュータと変わりない。
あんなものやり続けていたら、頭が柔軟になるどころか硬くなってしまう。解いたパズルに何度も挑戦しても、答えは同じなので頭が柔らかくなることはないからだ。
同じネタで売り捌き、同じネタばかりやって暇を潰している生産者と消費者の関係が情けなく見えてしょうがない。
正攻法で攻めるパズル雑誌ってのはないものか。
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ちょっとした備忘録。自然数の平方となっている数を平方数や自乗数とか言ったりするが、ブルーバックス『無理数の不思議』によると、それを根内に持たない無理数である√2や√3などを不尽根数と言うそうだ。
最初の二、三回は結構手こずるだろう。私もます目の多いものに挑戦したときは苦労した。だが、一線を越えるとコツというものが掴め、どんなに複雑なものでも楽に解けるようになる。そうなると、通り一遍の機械的作業になるので、暗号を解読するコンピュータと変わりない。
あんなものやり続けていたら、頭が柔軟になるどころか硬くなってしまう。解いたパズルに何度も挑戦しても、答えは同じなので頭が柔らかくなることはないからだ。
同じネタで売り捌き、同じネタばかりやって暇を潰している生産者と消費者の関係が情けなく見えてしょうがない。
正攻法で攻めるパズル雑誌ってのはないものか。
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ちょっとした備忘録。自然数の平方となっている数を平方数や自乗数とか言ったりするが、ブルーバックス『無理数の不思議』によると、それを根内に持たない無理数である√2や√3などを不尽根数と言うそうだ。
無意味な参考書
2003年2月5日 本屋に行ってみる。いつも専門書の棚の前で(ガキのくせに何やってんだ)、と店員に白っぽい目で見られている(気がする)ので、久しぶりに参考書を探してみた。流離の某氏(いや、こっちの話^^;)によれば、これが学生の本当の姿らしい。
参考書は色々な出版社が出しているが、どれもかしこも“没”の一言に過ぎる。
問題がたくさん書かれているがはっきり云って無意味。もとの情報さえ知っていれば問題なんて自分で作れるってのに。問題集となると閉口する。その程度のものに大金出す奴(学校自身だね)の気が知れない。
そして、要点ばっか書かれていて、それにいたる経緯(横道)が書かれていないのが殆ど。しまいにゃ問題を解くコツしか書かれていない。テストでいい点取るなら教科書を徹底的に読むだけで十分。何のために参考書を買うかって、それは頭を良くするためじゃないのか。
狭い範疇でしか説明してくれない、言わば学生を馬鹿にしているような参考書ばかり。あんなのばっかやっているから日本人が馬鹿になった、って言われるんだ。
参考書は色々な出版社が出しているが、どれもかしこも“没”の一言に過ぎる。
問題がたくさん書かれているがはっきり云って無意味。もとの情報さえ知っていれば問題なんて自分で作れるってのに。問題集となると閉口する。その程度のものに大金出す奴(学校自身だね)の気が知れない。
そして、要点ばっか書かれていて、それにいたる経緯(横道)が書かれていないのが殆ど。しまいにゃ問題を解くコツしか書かれていない。テストでいい点取るなら教科書を徹底的に読むだけで十分。何のために参考書を買うかって、それは頭を良くするためじゃないのか。
狭い範疇でしか説明してくれない、言わば学生を馬鹿にしているような参考書ばかり。あんなのばっかやっているから日本人が馬鹿になった、って言われるんだ。
ミスディレクション
2003年2月4日 答えは、『テーブルの上のコーヒーと取り替える』です。毒入りを飲む確率が低くなります。
2つのコーヒーカップがあり、そのどちらかかに毒が入っている。無作為に1つ選んだときそれが毒入りである確率はいくらか?
という問題だと思った方は愚かです。見事罠に引っかかってくれました。この場合確率は50%ですが、もともとカップは3つあったはずです。だから、
3つのコーヒーカップがあり、そのうち2つに藤原が毒が入れた。無作為に1つ選んだ後、毒入りのコーヒーが1つ排除された。
とするのが正しい。つまり、“藤原はどれに毒が入っているかを知ってて毒入りを1つ排除した”のだ。
伍郎が最初に選んだカップに毒が入っていない確率は1/3だが、言い換えればテーブルに毒が入っていないカップが残される確率が2/3なのである。そして、テーブルから確実に毒の入ったカップが排除されるのだから、無毒のコーヒーがテーブルに残る確率は2/3である。
つまり、伍郎の持っているカップを飲んで助かる確率は1/3、テーブルのカップを飲んで助かる確率は2/3。生き延びる確率が2倍になる。
従って“交換する”ことで有利に立てる。間違っても、最初に選んだカップに固執してはいけない。
小説の続き?そんなもん書いてません(爆)1/3の確率で主人公に死なれてもらっても困るから(^^;)
2つのコーヒーカップがあり、そのどちらかかに毒が入っている。無作為に1つ選んだときそれが毒入りである確率はいくらか?
という問題だと思った方は愚かです。見事罠に引っかかってくれました。この場合確率は50%ですが、もともとカップは3つあったはずです。だから、
3つのコーヒーカップがあり、そのうち2つに藤原が毒が入れた。無作為に1つ選んだ後、毒入りのコーヒーが1つ排除された。
とするのが正しい。つまり、“藤原はどれに毒が入っているかを知ってて毒入りを1つ排除した”のだ。
伍郎が最初に選んだカップに毒が入っていない確率は1/3だが、言い換えればテーブルに毒が入っていないカップが残される確率が2/3なのである。そして、テーブルから確実に毒の入ったカップが排除されるのだから、無毒のコーヒーがテーブルに残る確率は2/3である。
つまり、伍郎の持っているカップを飲んで助かる確率は1/3、テーブルのカップを飲んで助かる確率は2/3。生き延びる確率が2倍になる。
従って“交換する”ことで有利に立てる。間違っても、最初に選んだカップに固執してはいけない。
小説の続き?そんなもん書いてません(爆)1/3の確率で主人公に死なれてもらっても困るから(^^;)