ケータイ

2006年6月16日
 DiaryNoteのアンケートから。
A157.ケータイ(PHS)はいつから持ってる?
小学生のときから 3.8%
中学生のときから 15.2%
高校生のときから 33.5%
大学生のときから 19.3%
社会人になってから 28.2%
 僕は高校生のときから持ってます。

 「ケータイ」という言葉が「携帯電話」を意味するようになってるのに、時々抵抗感を感じることがあります。特に、正式な書類なんかで「ケータイ:XXX-XXXX-XXXX」とか書いたり、正式な場所で「ケータイの電源はお切り願います」とか言われるのを聞くと、正しい日本語を使えよ〜とか思ったり思わなかったり。「携帯電話の電源はお切り願います」が正しかろう。

 しかし、これが自然言語というものだと、納得できないこともないですね。

 ケータイを持つ人と持たない人がいます。持たない人にどういう信念があるかわからないですが、ふと今日気づいたこと。

 持たない人の中には、こんな言い分があるそうです。「(ケータイに)自分が束縛されるのが嫌だ」

 自分もこの言い分にはひどく共感を抱いているんですが、それでは何故自分は持っているのか。内省してみたら、ふとこんな言い分が出てきました。

 ケータイによって自分が束縛されるのならば、ケータイを持つ他人も束縛されているわけで、つまり――「(ケータイに)自分が束縛される以上に他人を束縛したいと思う」人がケータイを持つのだ。

 自分は寂しがり屋なんだなと思った。

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