逆転の発想
2004年8月31日 数学でも何でもいいが、試験勉強か何かのために問題集を解く。
問題集の量が多いと、絶対に飽きるものだ。飽きるのを通り越してやる気がなくなる。
そういうとき、気分転換は必要不可欠である。しかし、気晴らしというのは暇つぶしと同義であり、暇つぶしということは無駄に時間を過ごすということである。無駄に時間を過ごすということは、期限(試験日とか)までにその問題集を完遂できなくなるということだ。
そういうとき、飽きないためにはどうすればいいだろう。やる気を出すにはどうすればいいだろう。
そこで逆転の発想の登場である。
そもそも、問題集をやるだけの意欲はあるのである。やる気がなくなるというのは、その意欲がそがれると言う事。何故意欲がそがれるのか。それは問題集の構成にある。
高木貞二の特殊から一般へよろしく、問題集というのは簡単な問題から序序に難しくしていって、難しい問題になっている構成を普通はとる。
だから、出だしがたるい。しかも難易度が緩やかに上がっていく程度で、メリハリがなくやはりだるい。こんな状況を遮二無二続けられるだろうか。明らかに持続しないだろう。人には新鮮さが必要である。
そこで逆転の発想を思いついた。
問題集を逆走すればいいのだ。加点法より減点法。前からやってたんじゃ後何ぺージも残ってる、と辛い思いを毎回するが、後ろからやれば後これだけ昇華すればいいのだな、とプラス思考ができる。何より問題が難しいので、メリハリもあり、でだしもだるくない。そして、解いていけばどんどん簡単になるので、自分はできる奴だ、と錯覚さえ覚えて、やる気が出せる。
追い詰められた子羊が、長期休暇を最後として思いついた勉強法である。
また愚痴が始まった・・・彼は呆れ顔で子羊を見つめるのである。
問題集の量が多いと、絶対に飽きるものだ。飽きるのを通り越してやる気がなくなる。
そういうとき、気分転換は必要不可欠である。しかし、気晴らしというのは暇つぶしと同義であり、暇つぶしということは無駄に時間を過ごすということである。無駄に時間を過ごすということは、期限(試験日とか)までにその問題集を完遂できなくなるということだ。
そういうとき、飽きないためにはどうすればいいだろう。やる気を出すにはどうすればいいだろう。
そこで逆転の発想の登場である。
そもそも、問題集をやるだけの意欲はあるのである。やる気がなくなるというのは、その意欲がそがれると言う事。何故意欲がそがれるのか。それは問題集の構成にある。
高木貞二の特殊から一般へよろしく、問題集というのは簡単な問題から序序に難しくしていって、難しい問題になっている構成を普通はとる。
だから、出だしがたるい。しかも難易度が緩やかに上がっていく程度で、メリハリがなくやはりだるい。こんな状況を遮二無二続けられるだろうか。明らかに持続しないだろう。人には新鮮さが必要である。
そこで逆転の発想を思いついた。
問題集を逆走すればいいのだ。加点法より減点法。前からやってたんじゃ後何ぺージも残ってる、と辛い思いを毎回するが、後ろからやれば後これだけ昇華すればいいのだな、とプラス思考ができる。何より問題が難しいので、メリハリもあり、でだしもだるくない。そして、解いていけばどんどん簡単になるので、自分はできる奴だ、と錯覚さえ覚えて、やる気が出せる。
追い詰められた子羊が、長期休暇を最後として思いついた勉強法である。
また愚痴が始まった・・・彼は呆れ顔で子羊を見つめるのである。
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