子どもの科学
2003年10月2日 【理科好き育て、小柴さんが財団】素粒子ニュートリノの観測でノーベル物理学賞を昨年受けた小柴昌俊東京大名誉教授(77)が、その賞金など私財4000万円を投じ、理科教育の向上をめざす「平成基礎科学財団」を10月初めにも設立する。(中略)財団は、科学講演会を開催するほか、小、中学校で優れた理科教育に取り組む個人・団体を表彰したり、理科教材を開発したりする。(朝日新聞9/30より抜粋)
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さて先日の文化祭で、僕のクラスは科学系のネタで企画を立てたんだけれども、その当日、来訪者と話がどうも噛み合わなかった。
例えば、「最近火星大接近が話題ですね。もう火星は観ましたか?」とお客さんにプレゼンテーションしてみる。その返答。
中学生A「火星?そういえばそんな話もあったっけ。」
高校生A「話には聞いたけど見たことはない。」
高校生B「はぁ?そんなの知らないよ。ていうか火星なんて見えるの?」
まず“水金地火木土天海冥”が常識に広くしられているものだと思っていた僕が馬鹿だった。今日びの中高生たちはそんなこと微塵にしらないのである。天王星なんて言葉聞いた事もないのだとか。
一方子供連れのお父さんお母さん。
子供A「見たよー♪」
子供B「知らなーい。」
お母さん「ほら、この前見たでしょ。赤い星。」
子供B「え、そうだっけっけ?・・・あ、うんうん。見た見た。」
大半のおチビちゃん達は火星を見ている。愚鈍な兄ちゃんお姉ちゃんとは大違いだ。それに見ていという場合でも、ご両親が火星について積極的に聞いてくる。
教育熱心なことで・・・と皮肉ってしまえば元も子もないのだが、本当に世間は子供の“理科”を通じた情操教育が盛んだ。
しかし、だ。その成長した果てである中高生などの青年たちの有様はどうだ。明らかに科学に興味がない。どんなに僕が熱心に「それなら今日の夜にでも外に出て南の空を眺めてごらん云々」と言っても、たいした反響は返ってこないのである。多分実践した者は少ないだろう。
明らかに世の中の科学教育は「子供」のためのものになっていて、その目的にある将来の途中経過である「青年」への教育が欠如している。
ふと先日科学館へ行ってみた。科学館というのはどうして中々、ハイレベルな内容が多い。多くの方にはこんな記憶があるだろう。「子供の頃科学館へ行ったとき、楽しんでボタンは押したものの、ダラダラとした解説は聞かずに次の施設のボタンへ飛んでいく」。そう。本来科学館とは、子供の情操教育だけでなく、青年たちの好奇心を養うためにあるものなのだ。
ところがどうだろう?科学館にいるのは先ほどいったピンポンダッシュを繰り返すおチビちゃんたちだけ。更に、科学館で行われているイベントを見ても、明らかに「子育て」を目的とした親たちが来るようなものばかりだ。
子供の好奇心は育てるが、その先のことまで面倒は見ない。こんな現状で“理科好き”が育てられるのだろうか。あるいは、青年期に科学に興味が沸いていなかったら、もう無駄だ、とでも思っているのか。
今思えば、小学校の頃の理科は実験を重視していてとても楽しかった記憶があるのだが、今高校で受けている理科は実験はこそすれ理論ばかりで興味深くはあるものの面白くない、そんな感想がある。
受験のための高校だから、というのならそれでもいい。しかし、もっとも感受性が豊かになる、と自明にいわれているこの時期に、理科好きを育てないでどうするのだ?
子供のための科学に溺れて、世の中はその将来を見つめていない、そう思わせられる。
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それでも、先日“愚鈍”なる友人に夜火星を教えてあげたら心底驚いていた。「こんなに明るいのか!」そう、この感動をもっと世の中は若者に与えなければならない。ついでに夏の大三角も教えてあげた。都会の真ん中でアルタイルが見えるなんて、彼は思っていなかったらしい。何だね、この荒廃した世の中は、と呆れ返る。
それでも、今の若者には知的好奇心というものがあるという事実を知って、まだまだ捨てたもんじゃないな、と老婆心が湧いてきた。
・・・俺は何者だ(笑)
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さて先日の文化祭で、僕のクラスは科学系のネタで企画を立てたんだけれども、その当日、来訪者と話がどうも噛み合わなかった。
例えば、「最近火星大接近が話題ですね。もう火星は観ましたか?」とお客さんにプレゼンテーションしてみる。その返答。
中学生A「火星?そういえばそんな話もあったっけ。」
高校生A「話には聞いたけど見たことはない。」
高校生B「はぁ?そんなの知らないよ。ていうか火星なんて見えるの?」
まず“水金地火木土天海冥”が常識に広くしられているものだと思っていた僕が馬鹿だった。今日びの中高生たちはそんなこと微塵にしらないのである。天王星なんて言葉聞いた事もないのだとか。
一方子供連れのお父さんお母さん。
子供A「見たよー♪」
子供B「知らなーい。」
お母さん「ほら、この前見たでしょ。赤い星。」
子供B「え、そうだっけっけ?・・・あ、うんうん。見た見た。」
大半のおチビちゃん達は火星を見ている。愚鈍な兄ちゃんお姉ちゃんとは大違いだ。それに見ていという場合でも、ご両親が火星について積極的に聞いてくる。
教育熱心なことで・・・と皮肉ってしまえば元も子もないのだが、本当に世間は子供の“理科”を通じた情操教育が盛んだ。
しかし、だ。その成長した果てである中高生などの青年たちの有様はどうだ。明らかに科学に興味がない。どんなに僕が熱心に「それなら今日の夜にでも外に出て南の空を眺めてごらん云々」と言っても、たいした反響は返ってこないのである。多分実践した者は少ないだろう。
明らかに世の中の科学教育は「子供」のためのものになっていて、その目的にある将来の途中経過である「青年」への教育が欠如している。
ふと先日科学館へ行ってみた。科学館というのはどうして中々、ハイレベルな内容が多い。多くの方にはこんな記憶があるだろう。「子供の頃科学館へ行ったとき、楽しんでボタンは押したものの、ダラダラとした解説は聞かずに次の施設のボタンへ飛んでいく」。そう。本来科学館とは、子供の情操教育だけでなく、青年たちの好奇心を養うためにあるものなのだ。
ところがどうだろう?科学館にいるのは先ほどいったピンポンダッシュを繰り返すおチビちゃんたちだけ。更に、科学館で行われているイベントを見ても、明らかに「子育て」を目的とした親たちが来るようなものばかりだ。
子供の好奇心は育てるが、その先のことまで面倒は見ない。こんな現状で“理科好き”が育てられるのだろうか。あるいは、青年期に科学に興味が沸いていなかったら、もう無駄だ、とでも思っているのか。
今思えば、小学校の頃の理科は実験を重視していてとても楽しかった記憶があるのだが、今高校で受けている理科は実験はこそすれ理論ばかりで興味深くはあるものの面白くない、そんな感想がある。
受験のための高校だから、というのならそれでもいい。しかし、もっとも感受性が豊かになる、と自明にいわれているこの時期に、理科好きを育てないでどうするのだ?
子供のための科学に溺れて、世の中はその将来を見つめていない、そう思わせられる。
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それでも、先日“愚鈍”なる友人に夜火星を教えてあげたら心底驚いていた。「こんなに明るいのか!」そう、この感動をもっと世の中は若者に与えなければならない。ついでに夏の大三角も教えてあげた。都会の真ん中でアルタイルが見えるなんて、彼は思っていなかったらしい。何だね、この荒廃した世の中は、と呆れ返る。
それでも、今の若者には知的好奇心というものがあるという事実を知って、まだまだ捨てたもんじゃないな、と老婆心が湧いてきた。
・・・俺は何者だ(笑)
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