終戦記念日

2003年8月15日
 今日は終戦記念日だった。とはいえ、テレビでチラっと言及していただけで、それ以外は普通の日常だった。

 さて、戦争を経験していない時代に生まれた者の1人である私は、この記念日に対して何を想えばいいのだろう。

 1つだけある。“反感”だ。

 記念日に何の意味があるんだろう。

 戦争で亡くなった人々を悼む以前に、こんな考えが頭を過ぎってしまう。

 ――今の日本は彼らの尊い命の下にあるのだから、年に1回でもいい。この日本人全てが、戦争について考えてほしい。

 ・・・詭弁だ。何て恩着せがましい。

 そりゃあ、私だって数十年前に起こったことなど紙の上や口伝やらで知っていますよ。

 しかし、それは単に史実だ。自分に経験があるわけではない。

 その時代に生きた人にとっては、確かに意味のある日だ。しかし、経験の無い者にとってはそれがあったという事実でしかない。

 事実という赤の他人に対して、一体何を想えばいいのだろう。

 私は“知ったかぶり”と言うのが嫌いだ。例えば私は科学(理科)という概念が好きである。しかし、学校の理科はそう好きではない。なぜなら、どんな物理法則があろうとも、どんな生物構造があろうとも、実験を伴っていなければ単なる知ったかぶりだ。そして、理科の授業で行う実験などごく少数で、後は科学者たちが奮闘して手に入れたデータを淡々と記憶すること。経験を伴っていないので、全然面白くないし、その驚愕するべき事実を難無く手に入れてしまうのは科学者たちに申し分ない。(勿論、その事実は興味深いことではあるが)

 それと同じことで、蚊帳の中で戦争についてどうこう言うのは、許せないのである。

 だからこそ、終戦記念日というものに思い入れのある方には申し訳ないが、しかしこの日に悼むことは、それ以上に戦争で犠牲になった人々に申し訳ないのである。

 知ったかぶりは何よりの礼儀知らずだと、蚊帳の中の我々に言いたい。

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 とまぁ、冷たい見方をしちゃいましたが、別に私の本質は冷徹だというわけじゃない(はずな)ので、終戦記念日はしみじみと受け止めていますよ、勿論。

 こんな下らない日本(自分を含む)のために、亡くなった彼らが哀れでしょうがない。だからこそ感謝する。

 そういう恩義の念も半分(4分の3くらいか?)あります。

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 ところで、クリの部屋は現在IE絶対推奨です。表タグで複雑に作っている(無意味・・・)んで、ネスケなどだと崩れる恐れがあります。てか、崩れるに違いありません。

 未確認ではありますが。・・・だって、どんな酷くなっているか見るのが怖いもの。でも、ネスケ7だと大丈夫かなぁ・・・?

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