異文化

2003年6月19日
 書道。多々ある教育の中でも、特に納得できないカリキュラムの1つだ。毛筆がいくら達者に書けても、現代人として必要不可欠なものとは到底思えない(←今は活字文化だ)。しかも、ペン字(硬筆)ならまだわかるが、教わるのは決まって毛筆だけだ。

 また、今までの経験から言って、書道は書けば書くほど下手になる。始め下手に書くと、自己嫌悪から次の字はもっと下手になる。この相乗効果に、集中力が欠けると、最後の紙の字は見るも無惨なものとなるのだ。もちろん、始め上手に書きさえすれば、どんどん上達することは言うまでもないが・・・。

 でも、そんなに毛筆が嫌いというわけじゃないから、そう構わないのだけれど。

 毛筆と墨によって描かれる芸術。日本人の文化とは素晴らしいものだと思う。書道だけでなく、茶道や華道、武道などもそうだ。“道”という名のついた体系は感心するものばかりである。

 で、ふと思うのだ。だからこそ、日本を異文化として学びたかった。日本人は、他人に流されやすい性格だ。過去には大陸に従属的であったし、今ではアメリカに翻弄され、学生は英語を学ばされる。

 ハーバードやマサチューセッツなどの大学は、決まって英語である。科学の展望には、英語が必要不可欠なのだ。科学の発明・発見者の名前で日本人の名は少ないだろう?その上日本は技術だけはトップクラスだ。これは何を意味するか?日本は英語圏に従属的で、英語という障害があるためにその上に行けない、ということだ。つまり、英語圏の人間は有利なのだ。

 英語圏の人間でありたかった。そして、素晴らしい文化を持つ日本を、異文化として知りたかった。

 つくづくそう思うのである。

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