平和と差別

2003年6月8日
 椋鳥の喧騒。どうしてこんなに騒いでいるんだろう、と辺りを見回してみれば、何やら人様の団体が行進している。

 集団の先頭にいる女性が「核兵器の無い世界を――!!!」云々と力弁している。後ろの方で掲げられている旗には“平和”という単語が。なるほど、彼女らは世界平和を訴えているのか。

 我々一市民がどれだけ奮起したって、世界が平和になるわけがないのに、と冷めたことを僕は思ってしまうのだけれど。

 まぁ、しかし平和を祈ることは素晴らしいことであるので、頑張ってください、と背を向けた。そのとき。

 『今回のイラク戦争で多くの人々が殺されました。その犠牲者の大半は子供と女性です!』

 などという声が。

 おいおい、核兵器の廃止を語っている奴がそんなこと言っていいのか。

 犠牲者が子供である、ということは確かに問題であろう。未来有る子供たちの命を、未来無き(と云ったらまずいか^^;)大人たちが奪っていいわけが無い。

 しかし、女性が犠牲者であるのが問題、ということはどういうことか。未来有る子孫を作るからか?いや違う。“女性は無力”という先入観があるからだ。

 しかし、殺傷兵器や核の前では、無抵抗だろうがなんだろうが、男性でも無力なのではないだろうか。個人としての力が強くても、降ってくる爆弾を拳で破壊できるか?これは明らかに男性差別ではないのだろうか。

 レディーファーストは多いに結構。しかし、若しこの団体の誰かが、世界平和に加えて“女性差別”を謳ったとしたら、それは平和を逆手に取った偽善だと思う。

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