存在としての神

2003年5月30日
 神の存在というものを、多くの人々(広い意味で)は勘違いしていると思う。

 神話などに見るように、元々は『創造』のためとして神は人々に生み出された。これは人々が自らの存在に疑問を感じ、そのルーツを作り上げたがゆえである。

 神話の中で人間が増えていくと、創造の役割は必然性を失い、次第に人間界を見守る、つまり『秩序』のためとした神に変貌していく。

 更に、人々は生という苦労に疑問を感じ、“何か”にすがる様になる。そこで、宗教によって拡大解釈された、『救済』としての神が誕生した。

 神はこのように役割を歴史の中で都合よく与えられたのである。本来は『創造』であったのに、何時の間にか都合のいい『救済』と成り代わったのだ。

 だから、神を『救済』のために存在していると勘違いしてはいけない。「神も仏も無いのか」のフレーズは、単なる願望から生まれたエゴにすぎないのだから、救ってくれるわけがない。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年7月  >>
293012345
6789101112
13141516171819
20212223242526
272829303112

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

最新のコメント

日記内を検索