ないよりまし

2003年5月19日
 こんな統計があるそうだ。「人生の目標の国際比較」。『人生を楽しんで生きること』が日本は60%、米国は5%。『高い社会的地位や名誉を得ること』が日本は5%、米国は40%。日本もまだまだ捨てたもんじゃない、と思わせる結果だ。

 テスト勉強をしててふと思う。この勉強は人生において有意義で必要不可欠でインポータントなことなのか。一度そう思ってしまうと、集中力が無くなり、熱心さが失われ、通常の2、3倍の時間が費やされる。そして、この余計に掛かった時間が後で勿体無く感じられる。何と言う悪循環だろう。

 そこで、自分に暗示をかけるのである。『人生ないよりましだ』と。仮令必要性が見出せなくとも、知識が無いよりはいいだろう。有意義ではなくとも、テストという失われた時間を無駄に費やすよりは幾分かましである。

 しかし、この考えは単なる現実逃避だ。人生に有意義か否かに明確な解等を与えていない。勉強は何が為にするのだろう。まず第一と挙げられるものが、有用な社会人になる為だ。つまり、一般教育は社会の構造の1つである。故に、(押し付けられた)勉学の意義とは社会の為にある。

 先述の統計にあるように、社会の構造と対比的にあるのが自身の人生である。さて、どちらを選ぶ方が有意義だろう。社会か、自身か。

 社会的に認められても、私は有意義だとは思わない。何故なら、そこに「ないよりまし」発想が無いからだ。社会とは秩序であり、秩序とは一遍通りの形を持続させることである。今を持続することに「なくはない」ものはない。

 だから、自身よりも社会を選ぶことは、有意義ではないように思えてしょうがない。別に「ないよりまし」じゃなくてもいいじゃないか、と思われるかもしれないが、これ以上説明をつけるのは無理だろう。一言で言えば、「おもしろくない」それに尽きるのだから。

 クラス全員が、同じテストで満点を取ったとする。つまり、社会に組み込むためのコピーが沢山できたということだ。コピーであることを自覚し、「人生を楽しく生きること」を目標にする彼らが、反旗を翻すことができれば一番素晴らしい世の中となるだろう。

 (例によってテスト勉強の愚痴です^^;)

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