功罪
2003年3月19日 インターネットで様々なホームページを見ていると、時々“藁”とか“鯖”とか、意味不明な単語が出てくる。文章の前後からして、“笑”、“サーバー”を意味することが把握できる。他にも、“アカウント”は“垢”とか、“プロクシ”は“串”とか。
知らない人にとっては、忍者言葉宛(さなが)らの隠語である。私は、この言葉群が好きになれない。というより、嫌いだ。別に喧嘩を売っているわけじゃ無いけど、これらの隠語に何というか“良い”センスが余り感じられない。
隠語は、言葉の技法の1つ、掛詞を要素に持っている。例えば小野小町の“わがみよにふる ながめせしまに”の“ながめ”には“眺め”と“長雨”の二種類の意味を持っているように。
云ってしまえば駄洒落なんだが、とはいっても親父ギャグなんかではない。古典的な“ふとんがふっとんだ”でさえ、“ふっとんだ”に2つの意味を持たせている。
だが、“藁”はどうだろう。こんなのは掛詞でも駄洒落でも親父ギャグでもない。単なる当て字で、何のヒネリもない。“笑い”と“藁”を結びつける要素は単に読み方が同じである、というだけだ。(探せばこじ付けみたいな話はあるだろうが・・・)
更に勘繰ってしまえば、コンピュータで打ち込んで変換したら、難しい漢字が出てきて何と無く格好よさそうだったから使ってみた、なんてさえ思えてしまう。
漢字という記号はそれぞれに意味を持っている。それらを何の関連性も無しに当て字として乱用するのは、日本語を“借りている”日本人として恥ずべき行為だ。
しまいにゃ“行く”を“逝く”とまで当てる悪趣味な誤用さえ見かけるが、ここまできたらもうその人は日本語を使うべきではない。日本語と漢字を培ってきた歴史に対して失礼極まりないことだ。
様々な漢字が、ボタン1つで出てくるという利便性が生んだ功罪であろう。
知らない人にとっては、忍者言葉宛(さなが)らの隠語である。私は、この言葉群が好きになれない。というより、嫌いだ。別に喧嘩を売っているわけじゃ無いけど、これらの隠語に何というか“良い”センスが余り感じられない。
隠語は、言葉の技法の1つ、掛詞を要素に持っている。例えば小野小町の“わがみよにふる ながめせしまに”の“ながめ”には“眺め”と“長雨”の二種類の意味を持っているように。
云ってしまえば駄洒落なんだが、とはいっても親父ギャグなんかではない。古典的な“ふとんがふっとんだ”でさえ、“ふっとんだ”に2つの意味を持たせている。
だが、“藁”はどうだろう。こんなのは掛詞でも駄洒落でも親父ギャグでもない。単なる当て字で、何のヒネリもない。“笑い”と“藁”を結びつける要素は単に読み方が同じである、というだけだ。(探せばこじ付けみたいな話はあるだろうが・・・)
更に勘繰ってしまえば、コンピュータで打ち込んで変換したら、難しい漢字が出てきて何と無く格好よさそうだったから使ってみた、なんてさえ思えてしまう。
漢字という記号はそれぞれに意味を持っている。それらを何の関連性も無しに当て字として乱用するのは、日本語を“借りている”日本人として恥ずべき行為だ。
しまいにゃ“行く”を“逝く”とまで当てる悪趣味な誤用さえ見かけるが、ここまできたらもうその人は日本語を使うべきではない。日本語と漢字を培ってきた歴史に対して失礼極まりないことだ。
様々な漢字が、ボタン1つで出てくるという利便性が生んだ功罪であろう。
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