何はともあれ、歌の世も末
2003年3月9日 世の中に出回っている歌の多くはどうも螺子が狂っているようだ。
歌のタイトルに英語を用いるのは、まあカッコよかったり先入観を与えないなどとして認めよう。でも歌の中に英語、それも英文が混じっているのはどういうことだ。
“うた”とはつまり歌であり詩(うた)であり、曲と詞(ことば)がマッチして初めて歌になるものだ。つまり、聞き手に曲と詞が理解できなくてはならない。
日本人の多くが英文を耳にして理解できるとは思えない。云っちゃ悪いが、変に派手な若者の歌手の多くが、英会話を理解できるいるとは思えない。
それなのに、歌に英文が混じっている。日本語の歌なのに。“グレート”とか“ワンダフル”とか英単語ならまだましだが、長ったらしい英文を、しかもテンポの速い曲調で言われても誰が理解できるものか。もし曲調を売りにしているのなら、それは歌ではなく単なる曲であるし。
感動の歌詞が作れないから、無理矢理英文を混ぜてカッコよくしようってのが腹の内であろう。
加えて言えば、日本語的な下手な発音で、言わばカタカナ語で歌われると、いくら度すのある曲でも白けてしまう。
そんな歌をわざわざ歌い、そんな歌をわざわざ聴く世の中を私は理解できない。
歌のタイトルに英語を用いるのは、まあカッコよかったり先入観を与えないなどとして認めよう。でも歌の中に英語、それも英文が混じっているのはどういうことだ。
“うた”とはつまり歌であり詩(うた)であり、曲と詞(ことば)がマッチして初めて歌になるものだ。つまり、聞き手に曲と詞が理解できなくてはならない。
日本人の多くが英文を耳にして理解できるとは思えない。云っちゃ悪いが、変に派手な若者の歌手の多くが、英会話を理解できるいるとは思えない。
それなのに、歌に英文が混じっている。日本語の歌なのに。“グレート”とか“ワンダフル”とか英単語ならまだましだが、長ったらしい英文を、しかもテンポの速い曲調で言われても誰が理解できるものか。もし曲調を売りにしているのなら、それは歌ではなく単なる曲であるし。
感動の歌詞が作れないから、無理矢理英文を混ぜてカッコよくしようってのが腹の内であろう。
加えて言えば、日本語的な下手な発音で、言わばカタカナ語で歌われると、いくら度すのある曲でも白けてしまう。
そんな歌をわざわざ歌い、そんな歌をわざわざ聴く世の中を私は理解できない。
コメント