価値と存在

2003年2月2日
 川崎市川崎区の書店で万引きが発覚し、逃げた中学3年の男子生徒(15)が電車にはねられ死亡した事故で、書店側が市民から「人殺し」といった非難の電話などを受け、店頭に謝罪文を張り出した。閉店する意向だという。入り口の張り紙は「尊い命が失われたことについて重く受け止めております」と謝罪している。(毎日新聞)[1月30日21時43分]

 古い事件(三日立てば忘れ去られる世の中、超特急で社会が流れていることを実感)だけど、読んでて腹が立ったから引用。

 万引き。本を何だと思っているのだろう。本とは知識の集大成だ。量産タイプの本もときどきあるが、しかし長い年月をかけて作られた本が数多くあることを私は知っている。書物は知識を言葉によって直接問わなくとも教養を与えてくれる素晴らしいものである。それ相応の値段が付くのは当然だ。それを、何の代償もなく奪うのである。著者の知識を無断で奪うのである。何と失礼なことだろうか。

 また、万引きの目的のもう1つに、古本屋に売って小遣いにする、というのもあるらしい。こちらはもっとタチが悪い。知識を得るという、その本に対する直接的な目的でなく、本が築き上げてきた“血肉”を噛みしめずに飲み込んでしまうのだから。

 万引きにも色々種類があると思うが、本に対して愛着のある私にとって、本の万引きは特に許せない。その罪が発覚して咎められるのは当然。更には認めずに逃げて、不注意から命を失うのだから、自業自得というか因果応報というか。とりあえず、傍目で記事を読むには書店側に何の責任も無い。強引に罪を贖わせたのならともかく、勝手に盗もうとして勝手に電車に飛び込んだのだから。

 何より許し難いのは、そんな下らないことで本屋を1つ潰すこと。知識を与えてくれるもっとも身近な存在を消してくれたのだ、そいつは。ただでさえ独占禁止法の如何関係なく大型書店が幅を利かせているというのに、また1つ本屋が消えたのだ。(これは私怨ね^^;)

 加えて云えば、“ただ存在していただけ”で命に尊厳があると勘違いしている世論も許しがたい。社会に何の好影響をもたらしていない者で、命の価値があるというのは本来、自分と、その自分が直接認めている者に限るのではないのか。無価値の存在が、無価値の存在に対して無責任に発言するのは、単なる興味本位の野次馬。その程度の存在が、一時の好奇心で人を追い込む。しかし彼らは責任を感じていないだろう。正義さえ覚えている者もいるかもしれない。空間的な存在を理解していない愚かさを感じる。

 人の命は平等というが、飽くまで“存在”として、である。社会的な、本質的な価値は私に言わせればそいつに無い。死刑制度もそれ故あるんじゃないか。存在するだけで命の価値が上がると思っちゃ大間違いだ。

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 シャトルが事故を起こし、乗員が全員亡くなったそうだ。
 
 何て勿体無い!
 
 前項の万引き犯に比べて、こちらは明らかに“尊い”命である。勿論彼らのことはCNNでちらっと聞いた程度しか私の記憶に無い。だが、彼らは世に“存在するだけ"で誰にとっても価値のある者である。

 世界には60億人と、異常と云っていいほどの人が住んでいる。そのうちの、おそらく大多数が、社会に直接的な恩恵をもたらすことなく、普通に生きて普通に死んでいくのだろう。

 人の、空間的でなく社会的存在は、他人にそれを認識されて始めて生まれるものだ。人類が宇宙に進出する、という夢みたいなことを彼らはやってのけた。おそらく帰還後、宇宙工学を発展させる功績を残したことだろう。その功績は、間接的に我々に良い方向へ影響を与えたに違いない。それが失敗に終わった。この社会的損失を勿体無い云わずして何と云おう。

 世の中には、偉人と呼ぶに相応しい人が多くいる。彼らの存在は、既に社会に認められ、世間に貢献した、貢献するに違いない人物である。それから初めて価値が生まれ、損得勘定で見る命の価値が上がるのだろう。

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