複製

2003年1月30日
 最近クローン人間について話題になっている。倫理的問題はさておき、本質的価値は無いだろう。世代交代の意味は、異なる遺伝子が絡み合うことにある。そのままの遺伝子が受け継がれては何の意味も無い。進化も退化もない、ただの“無進化”だ。インセストがタブーとされているのはそのためである。

 数年前、ドリーが誕生した。少なくとも私は、当時、人のクローンが誕生するとは微塵も思ってはいなかった。しかし、賛否両論はあるが、本当にクローン人間が今の世にあるとしたら、将来SFに見る“人格”そのもののコピーも可能になるかもしれない。

 SFのテーマの1つに、“テレポートマシン”というものがある。その機械に人をスキャンすると、元素に分解されて、構成パターンを解析し、行きたい場所にある元素で再構成される、というものだ。

 つまり、テレポートマシンにかけると元々の心身はこの世から抹消されるが、同時にこの世のどこかで、異なる心身を持つ同一人物が出現するのだ。

 コンピュータで、データを“コピー”“カット(切り取り)”“ペースト(貼り付け)”する機能があるが、このことをテレポートマシンに当てはめて考えてみよう。

 通常の動作は、テレポートマシンAが人間というデータを“カット”し、マシンBが“ペースト”する。カットを“コピー”に変えてみたらどうだろう。Aが“コピー”し、Bが“ペースト”する・・・。同一人物が二点に現れることになる。更にデータはクリップボートに格納されていればいくらでもペーストできる。Aが“コピー”若しくは“カット”し、B、C、Dで“ペースト”する。同一人物が多く出現するのである。

 それぞれ、確かとした人格を持つ人間である。従って、Aでカットすることは一人の人間を殺すことに他ならない。更に事故がおきて各地に“ペースト”が行われたら。それどころか元素分解が失敗してAに瀕死の“自分”が取り残されたままBに自分が現れたら・・・貴方は本当の自分を見失い、もう1人の自分の存在を許せるだろうか。

 クローンにしろテレポートにしろ、“複製”というものは恐ろしい結果以外をもたらすことはないに違いない。

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